宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

宝塚ファンが「推し」呼びを嫌がる深い理由




宝塚ファンが「推し」呼びを嫌がるのは昭和の苦い記憶から?


宝塚ファンは、心から応援する憧れのジェンヌを「贔屓」と呼んでいます。


最近はメディアで「今、”推し活”がブーム!」などと取り上げられる機会も増えました。


が、宝塚ファンは「推し」というワードに敏感ですよね・・・




「推し」?


ああ、アイドルにきゃあきゃあ言っている若い子たちが使う呼び名でしょ。


宝塚ファンは、ああいうアイドルファンとは違いますのよ。


一緒くたにしないで頂戴!


な感覚なのでしょうか?



もう30年宝塚ファンを続けている身からすると、その思いはわからなくもない気はします。


熱烈な宝塚ファンでいらした作家・田辺聖子さんが、宝塚への思いを綴ったエッセイ集『わが愛の宝塚 夢の菓子を食べて』という本を出されました。(絶版 興味がある方は中古でお探しください)


昭和の時代に出版された本ですが、その中に昭和の時代の宝塚歌劇への偏見への怒りを吐露している箇所がいくつもあります。



昭和の頃の宝塚への偏見


「宝塚ってのは、キンキラキンの衣装で、すごい化粧して、舞台の豪華な学芸会でしょ、オンナコドモの愛贋物で、大の男が見るのは・・・」


「伝統芸能、古典芸術に比べたら、ねえ・・・」


「宝塚いうたらあの、男役が黄色い声出して、


「愛しているよ、世界で、一番、キミを。」


「さあ、明日を信じて、歩いていこう!♪」


「いとしいオスカル」

とかいう奴やろ?


あれはもうかないまへん。あんなもん見てたら蕁麻疹が出てくる」



・・・うん、古参宝塚ファンで、ベルばらへの複雑な思を抱いている人が多いのはですね、飽きたとか、演出が古臭いとかありますが、


20世紀の頃、


デリカシーの無いオッサン:「宝塚って、オスカル―💛アンドレ―💛ってアレやろ?」


って、ニヤニヤしながらおちょくられた記憶のある人が、たくさんいるんですよ。




そうこうしていたら、


平成の間に、アニメはオタクのものから世界のクールジャパンになり、


宝塚も100周年ブームあたりにはもう、関西ローカルのサブカルから、ちょっとした伝統芸能、ハイカルチャー枠になった感すらあります。


古参宝塚ファンが、「推し活」を嫌がるのは、


偏見に耐えて宝塚を応援し続けて、関西ローカルのオンナ・コドモカルチャー枠から、東京のオトナのオトコの鑑賞にも耐えうるカルチャーに育てて来たのよ・・・


それを、アイドルとかアニメとか、サブカルといっしょにしないで頂戴!



という思いもあるのでしょうか。




個人的な「推し活、ばんざい!」報道への違和感の正体


好きなものがある、応援する対象があるって、素晴らしい!


推し活、ばんざい!


基本、そのとおりだと思います。


だけど、マスコミが盛んに「推し」や「推し活」を取り上げることに、どこか違和感を感じている自分がいました。


なんでだろう?


と思っていたら、興味深い記事を発見しました。





最近、いわゆるアイドルヲタの人たちに聞いて面白かった話は、昨今マスコミが盛んに「推し」や「推し活」を取り上げ、NHKまでも好意的に取り上げるに至ってさすがに違和感を持つという意見だ。「推し活」とは、誰にも勧められるほど健康的な営みではないというのだ。


 中には「推し活」に月に数十万円の大金を注ぎ込む人もいて、そのアイドル推しの中で競い合うように「課金」をすることもあるという。推しそのものではなく、推しを応援するコミュニティとの人間関係が切れなくなる場合もあるようだ。


 ライトな「推し活」ならまだしも、依存性が高い一面があるものをマスコミが面白おかしく(ときによっては安易に)取り上げることについて一抹の不安や不快感を訴えていた。


宝塚は、地上波のTVドラマやネットの公式動画だけを見て無課金で楽しめるコンテンツではなく、それなりの経済力を必要とします。


自分の経済力に合わせて、節度を持って楽しめるファンライフなら全く問題ないと思います。


ただ、今の日本社会で、東京で家賃を払い、将来に向けて投資や貯蓄をしながら、宝塚に湯水のごとくお金を使ってもへっちゃら、な経済力の方ばかりではないかもしれない。


ひょっとしたら、忠兵衛のようにとは言いませんが、お金が無くて推せないのはイヤだと、無理をする人が出ないとも限らない。


アルコール度数の高い酒のような、依存性が高い一面があるものをマスコミが面白おかしく(ときによっては安易に)取り上げることについて一抹の不安や不快感を覚えるファンがいる、という指摘は、はっとしました。