『モンテ・クリスト伯』感想
原作と宝塚版の違い
星組全ツ千秋楽、『モンテ・クリスト伯』配信視聴感想です。
仕事の合間に時間休をとって、更衣室でタブレットで視聴するという環境でしたので、ほんの印象をば。
管理人の感想は
「岩窟王というより、ハムレットの翻案作品みたい」
原作をざっと見返してみたのですが、宝塚版の『モンテ・クリスト伯』は、日本語訳で文庫本5冊分におよぶ長大な原作を、だいぶアレンジしています。
原作を大幅カットした名場面集というよりは、登場人物の設定を借りた翻案作品に近い。
たとえば、
・居酒屋で、貴族フェルナン の前で旅芸人?たちが「姫が暴君に襲われて奴隷に売られる設定のダンス」を演じて反応を伺う。ハムレットにもそんなシーンがあったな・・・(以下同文)
(原作では、そんなシーンは無い。エデ姫は法廷でフェルナンの戦争犯罪を証言する)
・銀行家ダングラールが最後、ルイジ・ヴァンパのぼったくりバーから解放された後、オフィーリアみたいに狂気におちいり溺死
(原作では、解放されたダングラールが小川で水を飲もうとして、髪が白髪になったのに気づくが、溺死までは描写されていない)
・検事総長ヴィルフォールが、後妻業の妻エロイーズ から振るまわれたワインを疑い、自分と妻のグラスを入れ替えることで毒殺の陰謀発覚
(原作では、妻エロイーズはヴィルフォールの家族を次々毒殺するが、ヴィルフォール本人は手にかけていない)
エドモンが、裏切者フェルナンとあっさり結婚したメルセデスをなじるシーンは、ハムレットが、父が殺された後、叔父とあっさり再婚した母をなじるシーンみたいだし、
メルセデスの息子アルベールとの決闘は、原作では直前に真実を知ったアルベール側からキャンセルとなりますが、
宝塚版では決闘は行われ、まさかの「お互いが空砲を撃つ」ことでエドモンが家族の情に気づき、急転直下の結末を迎えます。
(ハムレットでも、決闘により急転直下の皆殺しラストに至る)
石田先生、絶対意識して、原作を「ハムレット」に寄せて翻案しているでしょ。
これは、初演でダンテスを演じた凰稀かなめとメルセデスを演じた実咲凛音の、地中海よりも北のバルト海が似合う芸風に合わせての改変だと思います。
まあ、原作と宝塚版の一番の違いは、
原作のラストシーン
伯爵 は 胸 が 大きく ひろがり、 心 が はればれ と なる のを 感じ た。 彼 は 両腕 を ひろげ た。
すると エデ が、 喜び の 叫び を あげ ながら、 その 腕 の 中 に 飛びこん だ。
「おお! わたし、 お 愛し 申し て ます わ!」 と、 彼女 は 言っ た。
「 人 が 父 や、 兄弟 や、 夫 を 愛する よう に、 お 愛し 申し て ます わ! 人 が 自分 の 命 や、 神さま を 愛する よう に、 お 愛し 申し て ます わ。 なぜ って、 あなた は わたし にとって は、 この 世の中 で 一番 美しい、 一番 りっぱ な、 一番 偉大 な かた な ん です もの!」
「わたし を 敵 に対して 立ち上ら せ、 わたし を 勝利 者 に し て くださっ た 神さま は、 そう だ、 わたし が 勝利 の 果て に 後悔 する こと の ない よう に し て くださっ た の だ。 わたし は 自分 を 罰 しよ う と し た。 ところが、 神さま は わたし を 許し て くださろ う という の だ。
エデ! わたし を 愛し て くれ! おそらく、 おまえ の 愛 は、 わたし が 忘れ ね ば なら ぬ もの を 忘れ させ て くれる だろ う」
A・デュマ. モンテ=クリスト伯(5) (講談社文庫) (p.502). 講談社.
エドモン、エデ姫とハッピーエンド!
全体感想:地中海の陽気なハムレット、学級文庫の「岩窟王」
初演の宙組版「モンテ・クリスト伯」は、陰鬱な曇天が続くバルト海のコペンハーゲンに舞台を移した巌窟王になったハムレットの趣でしたが、
星組版は、人数が28人しかいないのに、本来の舞台である港町マルセイユの活気やパリの社交界の賑々しさがタブレットの画面からも伝わってきました。
復讐劇も、星組生のちょっと顔芸やりすぎ(💦)な感もあるノリノリ芝居のおかげで、
「はい、復讐1人目終わりー。 次、いってみよー」
復讐劇があまり陰惨にならず、文豪の名作というよりは、小学校の学級文庫にある
「少年少女世界の名作文学 第10巻 岩窟王」
みたいなノリで楽しめました。
メルセデスがエドモンに、アルベールとの決闘での手加減を懇願するシーンは、
「あなたたち、もうだいぶ大きな息子がいる、四十路の男女だよね?」
とか思わなくもないですが(💦)
細かいことはいいんだよ!これが大衆演劇だ!