宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

月城が代役で新公に出たのかとビビった💦『グレート・ギャッビー』新人公演感想



彩海せらギャッビー、一瞬月城さんが代役で出たのかと思った💦


『グレート・ギャッビー』新人公演の配信を視聴いたしました。


いやーっ、個人的には、去年雪組の『シティハンター』の新人公演以来の衝撃でした。


私、仕事から急いで帰ってきて、バタバタしながら配信視聴をセットして、視聴開始したらちょうど、


パーティの客はみんな存在は知ってるけれど、どこの誰かは誰も知らない、館の謎の主、ギャッビーが出てくるところで、


私は一瞬


「え、もしかして、新人公演主演の彩海さんに何か不測の事態があって、


本役の月城さんが、ピンチヒッターで新人公演でもギャッビーを演じたの?」



と不穏なことを思ってしまいました(ごめんなさい💦)



いやーっ、彩海さんを、月城さんにそっくり!と思ったことは無かったのですが、


月城ギャッビーと、


セリフの口調、セリフを言う時の表情筋の動かし方、


振り返りの角度、足の組み換えのスピード、


瞼の上下のタイミングまで、


完コピ?


役の組み立て方も、


ギャッビーは軍隊に入る前は、怪しい職業を転々としていたそうですが、


裏社会の相手と会話しているときは、彼は結局、日のあたる場所より裏社会のほうが水があう、才能を発揮できてしまう人なんだろうなあ、という怖さと胆力を垣間見せる。


ディジーに再会し、花束を渡す時。それまでのちょっと大ぶりな動作で鼻につく、いかにもな紳士ぶりがどっかに行って、


一気にカタギの初心な少年の初告白のように、直立不動で挙動不審ぎみになり、


主題歌を歌う時の、キラキラと金粉が舞うような、穢れを知らぬ少年の笑み。



そして、あの背中!アルプスの孤峰のような後姿。


彩海さんは男役としては小柄な方だと思いますが、どうしてだろう、後ろ姿がやけに寂しく、広く見える。




トムとなんだかんだ上手くやれそうな羽龍ディジー


海乃さんのディジーを拝見していると、ディジーはトムとは根っから性格の不一致。


ヨーロッパ的な教養趣味の一族の知的な娘として、トムの俗物ぶりが心底イヤなんだろうなあ、歩み寄る気もなさそう。


5年間、ずーっとトムと離れたくて、ギャッビーの記憶は5年間ずーっと「別ファイルに鍵付きで保存」して、


「ギャッビー王子、私をさらって行って!」と窓辺で夢想していそう。



なので、


「なぜギャッビーのところに行かない?」


「葬式でのあの態度は何?」


と思ってしまう。




羽龍きよらさんのディジーは、ギャッビーとはひと夏、深く愛し合ったのは事実で、


でもトムと結婚してから、自分の中では「ギャッビーとのひと夏はいい思い出だった。人生で、あんな本気の恋が体験できて良かったかも」と納得して、


ギャッビーとのひと夏の恋の思い出に、5年の時間を「上書き保存」してしまっていて、トムの浮気も感づいてはいるが「まあ、男の人ってそんなものだし」と理性で自分を納得させて片目で見ていて、そこそこお似合い夫婦なのかもしれない。


(新人公演では、トムは本公演ほど嫌な奴でも、鳳月さんほど「コイツには敵わん」怖いオトコでもない))


ギャッビーと再会、「過去は取り戻せる」と言われても、最初「それは・・・ムリね」と理性が勝っている。


ギャッビーと踊るうちに、5年間上書きしていた記憶がだんだんありありと蘇ってくるディジー。


「うーん、どうしよう。でもトムも可愛げがあって、捨てきれないのよね・・・」もわかる。



考えたらやっぱり嫌な女だけど、海乃ディジーほどウエットでなく、ドライな女性像で、


羽龍ディジーさんのほうが原作版『グレート・ギャッビー』のディジー像に近い印象を受けました。


(宝塚版の、現代女性の感性に合わせて、ディジーの「きれいなおバカさんにならなければ、生きていけない」可哀そうな女性像を強調した本公演には、海乃さんのディジー像のほうが相応しいと思います)




本公演の宝塚大劇場千秋楽の感想はこちら