宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

植じいベルばら続投回避?も残る懸念





「演出家 植田紳爾」

初回放送日: 2022年9月23日


ゲストは演出家の植田紳爾さん。代表作は宝塚歌劇で上演された「ベルサイユのばら」だ。マリー・アントワネットを通して植田さんが描こうとした「人間の業」とは。強さ、弱さ、怖さ、愚かさ…人間が抱える複雑さを見つめる植田さんの原点は、少年時代、疎開した福井にあった。福井空襲の後、遺体を運ぶ作業の中で、人間のある面に気づいたという。そして、90歳を前に生み出そうとしている新作に込めた思いを聞く。



先日、宝塚ファン界隈が「すわ、植田紳爾先生、ベルばら続投?」とざわざわしておりましたが、


インタビューで紹介されたのは、宝塚ではない外部での発表を構想している、横山大観の絵画からインスピレーションを受けた「生々流転」という作品のことでした。



インタビュー概要


・植田紳爾氏は、少年時代、疎開した福井で、福井空襲の後、遺体を運ぶ作業の中で、


最初は「なぜこの人は、こんなひどい亡くなり方をしなくてはならなかったのか?」と悼みながら運んでいたのに、


1時間もしたら感覚がマヒし、何も感じずに作業していた自分にぞっとした体験があるとのこと。


この体験が、劇作家として「人間の業」を突き詰めていく原点だそうです。


・若いころ、動物の世界を舞台に「人種差別」をテーマにした劇を発表して、酷評されたことがある。それでも、社会問題を宝塚の舞台で取り上げるのは「ああ、楽しかったね、きれいだったね」」だけでない、何かを心に刻んでほしかった。



・マリー・アントワネットを通して植田さんが描こうとした「人間の業」とは何か?


植田氏は、若き日々にフランス王妃であることの責任から逃げるように不倫と贅沢にふけっていたマリーが、「私は逃げません。フランス王妃として立派に死にたい」と思うに至った心理の動きについて突き詰めたかったそうです。



植田氏の作品は、インタビューのとおり、政治や革命を真正面から扱う劇風で、


1991年に上演された『紫禁城の落日』は、『蒼穹の昴』のさらに後の時代、日本と中国の戦争問題を避けて通れない、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀氏を主人公に据えていましたし(上演当時、溥儀氏の弟さんはまだ存命だった)


1995年に上演した『国境のない地図」は、1989年、上演の6年前に崩壊したばかりのベルリンの壁にまつわる、東西ドイツ分割の悲劇の話でした。


これって、今から5年後に、ウクライナでの戦争を舞台にした話を宝塚で上演するくらい、センシティブなテーマをタイムリーに扱っていたんですね・・・


疑問 植田氏は、なぜ90歳を過ぎてのインタビューで「私は宝塚で、あえて社会問題を扱う芝居も上演してきた」と発言したのか?


柴田先生の諸作品は、90年代後半以降、謝珠栄先生が演出に入る以前は、歴史や政治の話はなるべく背景に抑えて、男女の愛憎劇にテーマを集約するタイプ。


小池修一郎氏も1930年代のスペイン内戦を舞台にした『NEVER SAY GOODBYE』などを発表していますが、小池氏は歴史は舞台にしても、政治色は周到に脱色して、エンタメに徹していらっしゃる。


生田先生は「世界史秘話ヒストリアを舞台化」、原田氏は政治的テーマを扱うが、「宝塚でわかる偉人伝」的に「この人はこんなに偉大でした」の話に収めている。


20世紀のころに比べたら、インターネットの発達により世界は身近になったようで、


「あ、この人、政治の話をしている! 近づかないでおこう・・・」


な空気も高まったように思います。


宝塚は、大衆娯楽だと思っています。


「歴史の話とか、つまんなーい。カッコイイ軍服の男役と、フリフリドレスのお姫様のラブロマンスを見られたら満足💛」


なお客も、大勢いらっしゃるのでしょう。


植田氏は「主演男役が着ている軍服の意味」を宝塚で描くことを、「客が、難しい歴史の話は嫌がるからやめよう」とはしなかった。



宝塚が、100%自主財源で興行するなら、客が求めるものを自由に上演すればいい。


宝塚はコロナ禍の現代を生きるため、国の補助金をいただいて、上演継続を模索している。


国の金で「現実逃避の夢の世界」を描き続けていいのか?という意見もあるかもしれない。



植田氏は、なぜ90歳を過ぎてのインタビューで「私は宝塚で、あえて社会問題を扱う芝居も上演してきた」と発言したのか?


後に続く演出家たちに「人間の業、強さ、弱さ、怖さ、愚かさ…人間が抱える複雑さを見つめてください。歴史や政治の話は嫌がられるから避けなきゃ、と委縮せずともよい。」と伝えたかったのでしょうか。