宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

媚びない娘役 真彩希帆を称える

歴代の贔屓が私の元号

去年の今頃、テレビでは「平成を事件簿で振り返る特集」みたいな番組がたくさんあった。私は、そんな他人の事件簿より、スカステを付けたら不意に映る昔の贔屓の舞台に、そのころの自分、時代の匂い、空気感みたいなものをありありと思い出す。歴代の贔屓が私の「元号」みたいなものである。


女性ばかりの劇団の男尊女卑

1991年に上演された、小池修一郎先生の宝塚版「華麗なるギャツビー」初演には


「女の子が勉強ばかりしていると、可愛げが無くなって、お嫁にいけなくなるよ」
「女の子は、きれいな おばかさん が幸せなのよ」


というセリフがあった。


ワンス~と同じ禁酒法時代、1920年代のアメリカの「時代劇」のセリフなんだけれど、昭和から平成に元号が変わっても、うちの田舎にはそんな空気がまだ残っていた。女性が才能を見せると「才あがり=才能を見せて調子に乗っている」と陰口を言われた。


平成の30年間は、日本社会のそんな「やな感じ」を少しずつ改善していった時代だった。


でも21世紀になっても宝塚歌劇団というところは、女性ばかりの劇団で、男尊女卑な価値観を再構築する不思議なところである。


娘役はあくまで可愛らしく、男役を立てて、寄り添って。娘役が実力を存分に見せると「可愛げが無い」と嫌われる。退団会見も男役トップは一流ホテルを借り切って、娘役は劇団事務所で、みたいな価値観。


自分は宝塚が大好きなんだけれど、そんなところは正直、好きじゃない。


コパカバーナの衝撃

雪組 大劇場公演「Gato Bonito!! 」のライビュを見た時のこと。望海さんと真彩さんが掛け合いで歌う「COPACABANA」のシーン。真彩さんが、トップ男役に向かって、真剣勝負に挑む剣士のような目をして歌っているのが大写しになった。


私は映画館の客席で「喰われる」と思った。娘役の真彩さんが媚びずに闘いを挑んでいる。それを全力で受け止めて、客に宝塚史上でも稀な「歌の真剣勝負」に酔いしれる陶酔を与えてくれる望海さん。


望海さんの退団会見より

~相手役の真彩希帆について~


「彼女は下級生ながらも私とともに走り、闘って、存分に力を発揮してくれました。私一人では決して見えなかった世界を広げてくれたことに感謝すると同時に、最後まで一緒に成長していけたらと思います。」


ああ、男役至上主義の宝塚で娘役がトップさんと共に走り、闘って、存分に力を発揮して。望海さんに「一人では決して見えなかった世界を広げてくれた」と言わしめた真彩さん。


将来、私は平成から令和へと元号が変わった「雪組娘役トップに真彩希帆がいた時代」を、この劇団の娘役の在り方の転換点を示す「元号」として振り返りたい、と願う。


露骨に言われなくても、「女の役」を演ずることがなんとなーく重苦しい今の風潮を蹴飛ばして、娘役さんが朗らかに、存分に実力を発揮して、生意気と言われない宝塚(そしてジャパニーズ)であってほしいと思うのだ。