宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

桜嵐記 正行というタブーに挑んだウエクミの覚悟



日本史の”タブー” 楠木一族 楠木正行に光をあて、受け入れられるまでに戦後75年かかった

「ル・サンク」を拝読した限りでは、「桜嵐記」は、相当攻めた作品ですね。今でもNHKの大河ドラマでは正面から扱うには大変にむつかしい「南朝」「帝」「戦」「忠義」「玉砕」「桜」等というテーマから、目をそらしていない上田久美子氏の覚悟。


宝塚では様々な地域、様々な時代を扱いますが、冒頭突然観客に


「皆様、南北朝時代へようこそ。南北朝ってご存じですか?」


日本で、日本人客を相手にこんなセリフを投げかげて、ウエクミはたぶん観客の


「あたりまえでしょ。日本人だもの。南北朝の歴史はよく知ってるわ。」


という反応をあまり期待していないのでしょうね。


南北朝時代の「南朝」について、地上波ではほとんど取り上げられないし、”人気が無い”というより、”知られていない”。日本で「南朝」はロマノフ王家よりも遠いかもしれない。


戦前の皇国史観では「南朝」が正統で、楠木正成こそ天皇に忠義を尽くした「忠臣」と称えられ、足利尊氏は「逆賊」扱い。


戦後、価値観は180度転換し、TVドラマなど大衆向けの媒体で南北朝時代、特に楠木ファミリーについては「今はあまり触れないでおこう」という扱いになった。


NHK大河ドラマの60年の歴史で、「南北朝」の時代を扱ったのは1991年の「太平記」のみ。主役は「北朝」の足利尊氏。その時の楠木正成役は武田鉄矢さんで、決してヒーロー然としていない「河内のおっさん」として描かれていました。


若くして亡くなった楠木正行、正時兄弟のことも、戦前は講談で「桜井の別れ」「四条畷」は大人気の演目だったのですが、戦後講談の衰退とともに演じられなくなり、忘れられていった。


21世紀になって、作家の田辺聖子さんがエッセイか何かで楠木正行について


「こんなロマンチックで気持ちのまっすぐな誇るべき人はいない。戦後60年。もうそろそろことあげしてもよいのでは」



ことあげ:ことさら言葉に出して言いたてること。揚言。



小説等、興味のある人しかアクセスできない媒体でなく、大衆の目に触れる宝塚の大劇場演目で、「泣けるメロドラマ」で済ませることもできたでしょうに、


尊氏に「なぜ南朝にこだわる、楠木!」と言わせ、正行の口から


この正行!父と母からいただいたこの命…もっと大きいもんのために使う...家名でもない...欲でもない... 忠義でもない...なんや...もっと大きな...これは...流れか...のう...見えんか...のう、見えんか?日の本の大きい流れが…


己だけの流れは何十年…せやけど日の本のもっと長い流れがある…


楠木正行をむやみに戦前の皇国史観にも、戦後平和主義の価値観にも寄せず、あの時代に生きたリアルな一人の人間の苦悩に向き合い言語化した、真摯なセリフ。


上演コードの厳しい時代に、こんなセンシティブなテーマを正面から描く上田久美子氏の作家としての覚悟と矜持に感服いたしました。