宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

ワンス 映画版主題歌は荻田先生が雪組「タランテラ」で使っていたなあ


映画版「ワンス~」の作曲担当は映画音楽の巨匠エンリオ・モリコーネ氏。アマポーラも絶品だけれど、この主題歌も忘れ難い。



Ennio Morricone - Once Upon A Time In America [HQ]

大人のための寓話的な原作映画


ギリシャ神話の半獣神パンが妖精と関係を持とうとするも、妖精は川辺の葦に姿を変えて拒絶する。パンがその葦を笛にして吹き鳴らす古代の悲調が、胸をえぐるように響くこのメロディ。


原作映画は、社会の底辺で生きるギャングたちの流血、性暴力、阿片の匂いに満ちた、いたたまれない話なんですよ。


そんなえぐい場面にエンリオ・モリコーネの音楽が流れると、見る者に古代ギリシャ神話や旧約聖書の寓話を読んだ時のような、古雅な印象を残すのです。

荻田浩一がタランテラに見た夢

このメロディは、昔宝塚の舞台(朝海ひかる さよなら公演「タランテラ」)で歌詞をつけて歌われたことがあります。


毒蜘蛛(タランテラ)は、世界の片隅の巣の上でひとりぼっち。
美しい蝶に憧れる。
でも蜘蛛にとって愛することとは 捕食すること。


夜明けの 日が差せば 昨日を 捨てに行こう

無残に 噛みちぎられて 名残とどめぬ 蝶の羽を

まだ 今でも 何が起きたか わからない

ただ 覚えてる 助けを求めて もがけば もがくほど


あの 青ざめた眼差しは 誰の涙 この指に絡まる糸が 最後の恋


荻田浩一 雪組公演「タランテラ」より

荻田氏は、宝塚の枠の中で「本当は怖いグリム童話」とか「怖い絵」系統の、おとぎ話の美しい絵本の奥に潜む恐怖、狂気をそっと見せるような作風でした。


この歌詞は映画版ワンス~の持つ大人の寓話的な雰囲気をよく伝えていると思います。

ヅカ的な、あまりにヅカ的な宝塚版

宝塚版第1幕ラスト。薔薇の花びらを敷き詰めた部屋でデボラに迫るヌードルス。宝塚版では「無残にむしり取られた深紅のバラの花」で暗喩しておりますが、本来は(すみれコードにより詳細略)の展開です。


薔薇の香りに包まれて 俺の愛が散っていく

その花びらは知っている 愛は枯れないことを

俺の愛は枯れない

・・・うーん、正直、宝塚版ワンス~は音楽と歌詞が惜しい。タカラヅカ的世界観の枠内に収まりすぎている感がある。


小池先生ー、望海さんには、もっと宝塚の枠を超えた、客の心をポーンと高みに飛躍させてくれる曲、歌詞をあててほしかったな、と思いました。


・・・荻田さんバージョンの歌詞で、エンリオ・モリコーネの曲を歌ってほしかったなあ。