歌下手スタ‐のファンが歌劇団の品格を地に落とすのか

宝塚歌劇団に不思議は多々あります。
もっとも有名な不思議のひとつは、
「歌劇団なのに、歌が下手なスターがいる」
「歌が下手なのに、トップになったりする」
そして、
「歌が下手なスターにファンがつくなんて。そういう意識低い系のファンが宝塚の歌劇団としての品格を引き下げる」
とか言われるわけです。
紅子:と言いつつ、実は歴代のアンタの贔屓はみんなトップになったんだよね。
管理人:この論争は宝塚独自のものでもないようで、最近はステージで顔を出さずに歌うAdoについても、Adoの歌は上手いのか否か、という論争がおこっているようです。
紅子:そもそも、Adoさんのドラ猫が喧嘩してるようながなり歌唱って、宝塚界隈の「上手いか下手か」論争とはまた別のところにあるような。
管理人:一般論なら星空美咲のほうが歌は上手いんだろうけど、星空美咲のシシィにはたぶん無い成分。
紅子:初演エリザベートの花總まりには、実はあった成分。
エリザベートの気持ちになって「うっせぇわ / Ado」歌ってみた【ミュージカル女優】
Adoを評価する人、また懐疑的な人、いずれの側にも共通する問題について考えたいのです。
それは、彼女の歌の細かい技術的な要素をひとつずつリストアップして、項目ごとに加点、減点して歌を外科的に解剖する態度です。
なぜなら、ここに現代において鑑賞という行為が機能不全を起こしている症状を見て取ることができるからです。
つまり、歌や音楽をひとつのまとまった味覚として堪能しようとするのではなく、分解してパーツを取り出し、それを顕微鏡で覗き込むように、科学的に解析するアプローチ。
これが、果たして本当に歌や音楽を「聴く」と言えるのか。
Adoの歌唱力に関する議論は、この問いを投げかけているのです。
管理人:縣の歌唱力に関しては、まったく擁護しませんし、満足していないけれど、
「縣の歌唱力が望海風斗レベルならどんなによかったか」
までは思わないのよね。
紅子:もうそれ縣じゃない気がする。
管理人:一般的な意味で上手くなくても、ドヘタはなんとか克服したうえで、声の癖や不完全さがその人の個性で、代わりがきかないってくらいになると、芝居の中では切実さや人間味として聞こえることも、ある。
紅子:まあ、記事にあるけど、華原朋美の「I’m proud」や中島美嘉の「雪の華」の系統ね。AIで採点しづらいし、言語化しにくいけどトータルの味わいとしては舌にのこる、何か。
管理人:ショーで歌う分には、一般的な意味の歌唱力は必須なので努力していただきたいですけれども。