宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

タカスぺを知らないトップの時代になってゆく

こんちゃん



管理人:「エリザベート」Blu-ray先行上映やら、スペシャルトークショーやら。


紅子:ほぼ、公式のお茶会ですね。


管理人:働き方改革なので、しょうがないのですが。


あー、タカスぺってどんなのだったけ。もう遠い記憶だわ。




【公式】<サンプルムービー>タカラヅカスペシャル2019-Beautiful Harmony-'19年・梅田芸術劇場


主な出演者


(専科)轟 悠
(花組)柚香 光、華 優希
(雪組)望海 風斗、真彩 希帆
(星組)礼 真琴、舞空 瞳
(宙組)真風 涼帆、星風 まどか   


管理人:今見ると、7年前なのに、もうふた昔前に思えるわ。


当時は配信が始まる前で、地方民は映画館でライブビューイングで大いに楽しんでいた記憶があるわ。


毎年当たり前の風物詩と思っていたけれど、なんてぜいたくな夢の一夜だったんだろう。


管理人:2019年タカスぺの男役スターの最下級生は、100期の聖乃あすか、極美愼。


この時月組は東京公演でお休みだったので、風間柚乃は出演していないのよね。


紅子:縣も、結局タカスぺには縁がないままになりそうだし。


あっという間に、月組は「タカスぺを知らないトップ」の時代になるのね。


紅子:このステージのために、生徒もスタッフも、どれだけ深夜・休日労働していたんだろう…


今の働き方改革の時代に、このスタイルでのタカスぺはもう無理なんだろうね。


管理人:それはもうしょうがないことだと思うけれど、


タカスぺは、スターをスターとして磨き上げるうえで、貴重な機会だった、としみじみ思うわ。


この頃は、レジェンド轟理事までいたし。


毎年、タカスぺで、他組の路線と同じ板の上に立って、芸やら、序列やらが全タカラヅカファンの前にさらされて、あーだこーだ言われるわけで。


今思えば、とてつもないストレスだったでしょうね、


でも出演者たちには、共演での短くも熱い時間からしか得られない養分も、確かにあったんだと思う。


紅子:タカスぺを知らない世代がもう研12とかだけど、この頃の研10越えの男役に比べたら、若いというか、まだ儚いなあ。


元気出せ!ギラつけ!


管理人:コロナ禍前は、研10あたりでもうスパッと線引きされる時代だったしね。


紅子:今は、タカスぺの代わりに、地上波TVや外部出演で芸に刺激を!(そして広報を)という時代なのかしらね。


管理人:素化粧で組を超えたコラボトークショーやソングをやっても、板の上で男役&娘役として組むことの代わりにはならないのかもね。なら組ごとに無理せずがいいのかも。


紅子:不定期で2組でバウでコラボイベとか、せめてさんま御殿形式のトークとか、何か手段ないかな…

エリザベート「死を愛せ」「死んでよかった」で感動する謎

こんちゃん





管理人:FNS歌謡祭で初めて宝塚のことを知って、花組さん見て見たいな、と思って「エリザベート」のチケットを取って観劇した人って、正直舞台を見てどう思うんだろうね。


紅子:第1幕は、困難な状況に負けずに立ち向かう王道のヒロインなので、


「がんばれ!負けるな!」


と素直に応援できると思う。


管理人:問題は第2幕よね…


夫に不倫されて絶望して出ていく、までは「自由を求める女性」としてわかるんだけど。


紅子:「不倫されたんだから、もう公務しなくていいよ!」


「不倫されたんだから、息子を放置しても、息子を愛せなくても、しょうがないよね!」


と思えるかどうか…


管理人:私の知り合いでも「夫に不倫されて、もう見放しているけれど、子どもだけは!」って人だらけだよ。


紅子:エリザベートは実在の人物で、史実でも、公務も、息子を愛することも放棄した女性のお話なので、としか言いようがない。


死生観も、現代人の常識を揺さぶってくるところがあるよね…


管理人:そもそもキリスト教の価値観では、概念としての「死」はあるけど、日本でいう


「閻魔大王の跡取り息子、人間界で修行中」みたいなイメージの「黄泉の帝王」「死神」っていないのよね。


紅子:「寿命で死ぬこと」は神様の思し召しで、西洋の宗教画で臨終の場に来るのは「天使来迎図」的な「お迎え」なんだよね。


管理人:キリスト教の神様の使いの「死の天使」は


「やっと死にたいと思ったか!さあ死ね!」


って言わない。


「死」そのものに人格があったり、神格化して「死神」になるのは、日本文化の発想なんだよね。


西洋だと「邪教の神」「悪魔」扱いだと思う。


紅子:ラスト、トート閣下とシシィの雰囲気は「さあ、共に天の神のもとへ」じゃないよね。


シシィ:「わたしはやっと「死」を手に入れたの!うらやましいでしょ!」



管理人:植田伸爾大先生なら、「ベルばら」や「風と共に去りぬ」でいうところの


「トート閣下が私で、私がお人形だったのです」


「わたしたち、やっと一つになれたのね」


紅子:天国の隣か地獄の向かいか、普通ではないところに行ってそう。




なんで30年前に、こんな変わったお話が宝塚でウケたのか?


管理人:日本で「エリザベート」が初演された1996年は、米国のニューズウィーク誌が「日本の雅子皇太子妃は、伝統の中で能力を発揮できない」という主旨の記事を掲載して大騒ぎになった頃なんだよね。


ちょうどその年、イギリスでもダイアナ妃が不倫を続けるチャールズ皇太子との離婚が成立していて、


「皇族の自由」ってとてもホットな話題だったのよ。


紅子:その翌年に、ダイアナ妃は恋人と事故死したのよね。


管理人:宝塚ファンの脳裏に「エリザベート」がよぎったよね…時代の空気か…


紅子:令和の新規ファンのホンネを知りたいです!皆様のSNS投稿、楽しみにしております。

エリザ初日!『ポーの一族』との意外な共通点

こんちゃん


※『エリザベート』初日の興奮に背を向けて、以前掲載した『ポーの一族』に関係する記事を再掲しております。






ポーの一族に引き入れようとするエドガーに気づいたアランの祈りの言葉

天は神の栄光をあらわし 大空は御手のわざをしめす


この日、ことばをかの日につたえ この夜 知識をかの夜に送る


語らず いわず その声聞こえざるに 


そのひびきは全土にあまねく そのことばは地の果てまでおよぶ


願わくは  われを隠れたる咎(とが)より ときはなちたまえ


願わくは 願わくは



この祈りの言葉は、旧約聖書の詩篇19編から引用されているそうです。


人間がイエス・キリスト以前から、2,000年以上語り継いた祈りの言葉。


この作品世界に出てくる「人間達」の価値観は、ほぼ「キリスト教徒の価値観」でしょう。




世界の人類の3分の2は、エルサレムが聖地である宗教(キリスト教徒か、イスラム教徒か、ユダヤ教徒)


日本に住んでいると、赤ちゃんが生まれたら神社でお宮参り、大人になってチャペルウェディング、お葬式にお坊さんを呼ぶのも普通だし、


アジアには中国やインドといった非キリスト教の大国があるから、あまり実感しないけれど、


欧米の美術館に行くと、「自分はキリスト教徒ではない、異教徒なんだな」としみじみ思う。


西洋の古典絵画も、クラシック音楽も、世界をリードする「現代思想の潮流」とかいうものも、


結局キリスト教徒でなければ、心の底から「あー、わかるー」という共感は味わえないのだろうな、という疎外感(個人の感想です)。



聖書によれば、原罪を背負い死んだ人間は、最後の審判で裁かれ、死体は霊魂と結びつき、神のもとで永遠の命を与えられる。


では、天国の隣、地獄の向かいにいる、ポーの一族の死生観は?


エドガー:「ねえ、人が生まれる前、どこにいたか知ってる?」


アラン:「知らない」


エドガー「ぼくも知らない。だからメリーベルがどこへいったかわからない」

さきほど引用した聖書の言葉とは、ずいぶん異なる死生観。


ポーの一族は「メリーベルは天国へ行ったよ」とは、決して言えないのです。


この世で永遠を生きるポーの一族は、心臓に杭を刺されると「死ぬ」のではない。


死体を遺さず「消滅」する。


よって、死後の復活は無い。



シーラは「ヴァンパネラになって、不老不死、やったー!」という価値観のようですが、エドガーは18世紀の生まれであり、人の世のキリスト教的な価値観が沁みついているのでしょう。


神の国での永遠から外れ、


子孫にDNAを残す=「遺伝子の乗り物」からも外れたことを、哀しんでいるのかなあ。


ポーの一族を繋ぐのは「愛」のはずなのに。


エドガーは、原作では肉体が14歳のまま止まってしまった。


いわゆるアダムとイブ的な、成人同士の「愛」からは外されてしまったまま。


この物語はいわゆる「BL」の枠内に収まるお話なのでしょうか?


ロマ(ジプシー)の世界観

ナチスによって弾圧されたのはユダヤ人だけでなく、同性愛者やロマ(ジプシー)も含まれていました。


ロマの死生観とは

ジプシーは人が死ぬと「そんな人間はこの世にはいなかった」と考える。


名前も口にしない。思い出話もしない。遺品も残さない。


そんな人元々、この世にいなかった。


つまり「誰も死なない」。この世には常に生きている人間しかいない。


https://wakazo-deathcafe.com/2020/03/28/trump_jorker/

つまり彼らは、ナチスが考えるキリスト教の正統の教義とは違う価値観である、ということから弾圧されました。


『ポーの一族』とは、同性愛者やジプシー(ロマ)といった、キリスト教的世界観からは「外れた」者たちのメタファーでもあるのでしょうか。


2012年11月、セルビアのザロジェ町役場が「吸血鬼警告」を発出


ニンニクの売れ行きがよくなった。木製の十字架が飛ぶように売れている。この事実が意味することはただ1つ・・・、吸血鬼の襲来だ!? 


だがこれは、映画の脚本や小説の一節ではない。セルビアの町、ザロジェで実際に起きていることだ。11月にこの町の役場が地域の公衆衛生に関して、この地区に住むと伝えられる吸血鬼、サバ・サバノビッチ(Sava Savanovic)が徘徊している可能性があると警告を発したのだ。

当時ちょっと話題になったニュースで、どうやらこれは役場の観光キャンペーンを住民が誤解した、ということらしいのですが、場所がセルビアというのが興味深い。


ポーの一族の舞台は、イギリスのスコッティ(スコットランド)の片田舎ですが、


ヨーロッパ本土では吸血鬼伝説は、トランシルバニアやセルビアといった、キリスト教の総本山のバチカンから地理的に遠い東欧地域が中心でした。


辺境ゆえ、キリスト教がヨーロッパ全土にあまねく、地の果てまで及ぶ以前の価値観、世界観が色濃く残ったのでしょうね。


吸血鬼の存在が今でも信じられているのはなぜですか?


【ボリーニ氏】


人間の思考の奥底に流れる2つの要素、死と血につながっているからだろう。


死は誰もが避けられない運命であり、血は我々の生命維持に欠かせない液体だ。


吸血鬼はこの2つの要素を逆説的な形で結びつけている。


死体でありながら、血を吸うことで死を逃れている、というわけだ。

吸血鬼とは、死と愛を血で結びつけて永遠を生きる。


「ポーの一族」とは、小池修一郎先生の永遠のテーマである「愛と死の輪舞」の話なのですね。


大穴?『Ave Mare(アヴェ マ‐レ)!』裏予想

こんちゃん





管理人:こんにちは、あるいは、おめでとう。


最近ブログ名を『宝塚をマイルドヤンキー地方民の目線で語るブログ』に改題しようか悩んでいるライビュ専科の地方民です。


紅子:『Ave Mare(アヴェ マーレ)!』を『Ave Maria(アヴェ・マリア)』と見間違えて


「アヴェ・マリア!? 讃美歌コンサート? 永久輝せあさんってクリスチャンだったのかしら?」


と2時間くらい本気で思ってた管理人さん、お元気ですか?メガネ替えなさい。


管理人:このコンサートの裏で、何かはあるよね。


くんくん…


太陽がギラついたわ。


嵐の匂いがする。


今発表したら、エリザベート初日が吹っ飛ぶほどの。


紅子:何?聖乃あすか東上?バウ・ワークショップ?


管理人:それ、誰がびっくりするのよ。


私ね、最近の花組を見ていて、ある人を思い出すの。


紅子:いちいちマダム・ブラヴァッキ―ごっこをして、元贔屓を降霊しないとブログを書けない某ブロガーを生んだ、あの人?


紅ゆずるって、研7まで新人公演でも役が無かったのに、いきなり「スカーレット・ピンパーネル」ですべりこみ新人公演主演して、


バウ単独主演も無かったのに、2011年の「メイちゃんの執事」(バウホール・日本青年館公演)で、バウホールと東上をまとめてやって


「誰?」「なにごと?」


からトップになったんだよね。


管理人:だってさ、去年の前半ごろまで、宝塚ファンは「花組『エリザベート』をやります!」と言われても、雪組での『ポーの一族』再演より、キャスティングが浮かばなかったと思うのよ。


今や、エリザベート配役発表で、ルドルフWキャストで

「でしょうね」


案件でしょ。


紅子:侑輝大弥、研9あたりまで、路線レースに「我関せず」のような顔していて、研11でいきなりFNS選抜で、バウ主演で、ルドルフで、ごぼう抜きしてくるんだもんねえ。


管理人:競馬でいうと、王道の走りをして危なげなく勝つ馬もいれば、「そこから届くのか…?」というレースをして、ファンの気持ちをヒリつかせる馬もいるのよね。


自分が馬券を買っているかどうかにかかわらず、そういう馬のレースってずっと印象深いんだわ。


宝塚ファンに復帰して、大劇場・別箱と配信でひとしきり見て、正直101期~104期あたりに


『元気ですか~!!』


『ギラついてますか~!!』


と言いたくてうずうずしているのよ。


紅子:え、えーっと…ブラヴァッキ―さん、キングは何と?


管理人:「花も星も、結局収まるところに収まるであろう。誰かは出ていくであろう」


紅子:もうちょっと詳しく!東上は誰?


管理人:疲れたー!!あの髭のじいさん捕まえるのすっごく体力使うのー。お風呂入って寝るー。


紅子:オイ!

星組『RRR√Rama』感想 正直ドン引きした理由

こんちゃん



星組公演『RRR×TAKA”R”AZUKA~√Rama』を視聴いたしました。


原作となったインド映画『RRR』は、1920年、英国植民地支配下のインドを舞台に、インド人であるが独立運動の野心を秘め、英国政府の警察官として特別捜査官(武器管理の権限を持つ)への昇進を目指すラーマと、


インド総督にさらわれた部族の娘を奪還するため、デリーに潜入したビーム、


2人の数奇な関係を軸にした物語です。


ラーマとビームは、それぞれアッルーリ・シータラーマ・ラージュとコムラム・ビームという、それぞれイギリス領インド帝国とニザームに対する抵抗運動を指揮した実在の革命指導者を下敷きにしており、


史実では接点がなかったとされる2人が、もしも若き日に出会っていたら、という歴史ifストーリーでもあります。



紅子:ということで、2024年にビームのほうを主人公にして上演された『RRR』の、「ラーマルート」の物語であるわけですが。


管理人:宝塚で上演するための台本として、『RRR × TAKA”R”AZUKA ~√Bheem~』はよくできた構成だったんだなあと思いましたね。


紅子:ラーマルートは、上演時間が延びて間延びしたってこと?


管理人:”ビーム”ルートの時は、物語の主軸は征服されている立場のインド人の青年と、征服者側であるインド総督の姪でありながら、インド人と対等な人間同士として向き合い、


インド文化を「大英帝国の文化は素晴らしいけれど、インド文化にはまた別の魅力があって素晴らしい」と言える感性の持ち主である、ジェニーとの関係をメインにしていたわけです。


紅子:この視点、すごいよね。


昭和の頃の日本人でも、文化といえば欧米の文化が一番優れていて、


アジアの文化は「エキゾチック」か「欧米に比べて発展途上」という物差しで見ている人がたくさんいたんですから。


管理人:これが”ラーマ”ルートとなると、物語の主軸は、インド人でありながら、イギリスの武器の略奪の野望のため、英国政府の警察組織の中での昇進を目指し、同胞を逮捕・拷問することになるビームの、


英国政府側の暴力装置の一員としての立場と、インドへの想いとに、Yの字に引き裂かれる苦悩がメインになります。


紅子:ヒロインのシータは、ラーマの故郷の村でラーマの無事を祈る以外に、ほとんどしどころが無いもんね。


管理人:で、トップ娘役の詩ちづるが”FIRRRE MIRRRAGE”というインドの女神に扮して、ラーマがYの字に引き裂かれるたびに出てきて踊る。


紅子:今回の上演では、ラーマの愛は「インドへの地元愛」なんだよね。


管理人:女神”FIRRRE MIRRRAGE”は、ラーマのぬかるみを進む馬車のような、重い不屈の「インド魂」の象徴に見える。


そもそも映画『RRR』自体が、インド古代叙事詩「マハバーラタ」に出てくる神話の物語を1920年代を舞台に翻案しているのよね。


紅子:日本でいうと、太平洋戦争を舞台に「ヤマトタケル」とか「スサノオ」がアメリカと戦うお話みたいな?


管理人:あまり深入りすると難しそうな話になってきたけど…弓と槍で大英帝国の銃に勝ってるしね…


紅子:で、客はインドとイギリスと、どっち側の立場で応援すればいいのか。


管理人:インドがんばれ!イギリスをやっつけろ!でいいんだと思うんだけど…


これはとても個人的な想いなんだけれども。


自分は宝塚ファンをやってきて、燕尾やスーツの美学の元になった「ボー・ブランメル」とかさんざん見てきて、日本人だけど、結構欧米寄りの歴史観や価値観に染まっているんだな、と思うのよ。


これ、今すぐ漂白できるものでもないのよ。


イギリスとインドが喧嘩している話で、日本人にはほぼ中立な話のはずなんだけど、なんか、むずむずするところは、ある。


日本と韓国の歴史で言うと安重根という「初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した」人物がいて、韓国では英雄なんです。それは立場の違いとしてわかるんです。


紅子:伊藤博文って、最近の宝塚の作品だと、この間の『稲妻開花譚ーイナズマカイカタンー』にも出ていたあの人だよね。


管理人:日本人として安重根をどう歴史上に位置付けるかは、なかなか難しいところで。


安重根の映画を見たことないんですけれど、


「いけいけ!伊藤博文をやっつけろ!」


という視点で見られるのか、よくわからない。




自分だったら、叔父さんを殺されて、笑顔でエンディングで踊れるかわからない。


紅子:古代インド神話として見るなら「楽しい娯楽」で済むのだけれど、やっぱり時代が現代に近づくにつれて、「今」と重なって重い話になるよね…