宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

宝塚も他人事でない...TVドラマ原作者の悲劇に




ドラマ脚本巡るトラブルとは…「セクシー田中さん」原作者急死 日本テレビに原作者の意向伝わっていないとの話も



管理人は、日本テレビで2023年10月から12月に放送した「セクシー田中さん」というTVドラマを拝見しておりました。


原作は未読(原作があることもあまり認識せず)視聴しておりましたが、


会社で経理担当として働きながら、ベリーダンスに生きがいを見出すアラフォーの「田中さん」(木南晴夏)と、同じ会社で働く婚活に余念がない20代前半の倉橋朱里(生見愛瑠)を軸にした恋愛模様を描くラブコメとして、日曜日の夜10時半に、息子の月曜セットのチェックなどをしながら気軽に見ていた記憶があります。


全10話の放送で、ラストの展開が登場人物の心情説明のシーンが増えてスタジオ演劇みたいになってきたり、


いきなり海外に留学して「それから2年後...」のシーンになって、キャラたちの関係性の決着はつかないまま


「私たちの人生はこれからも続いていくのです」


とうやむやに終わって、なんだか途中打ち切り?お正月にラスト特番があるの?と、ちょっともやもやしたことを覚えています。


TVドラマ放送の終了後に、原作者で漫画家の芦原妃名子さんが、ドラマ制作側と原作者との間で交わされた「原作のストーリーやキャラを改変しない」などと約束した内容が守られず、全10話のうち、9話と10話の脚本を自ら書くことになった経緯を説明するなど、


「なんだか揉めているなあ。昔からよくある話だなあ」


と思っていたら、原作者急死という悲しい事態となってしまいました。



外野には、原作者と日本テレビの制作陣で交わされた契約書の内容はわかりません。


原作者と日本テレビ側が「原作を改変しない」という契約を交わしていながら、制作陣が「TVドラマ化の権利さえ手に入れればこっちのもの。」とばかりに、原作者の意向を無視する改変を押し切るようなことがあったなら、大変な問題だと思います。


そのこととはまた別の話で、TVドラマ「セクシー田中さん」で漫画原作者が書いた9話と10話を拝見すると、


画とコマ割りで心理の綾を書く漫画の面白さと、生身の人間の(セリフも含めた)行動で語るTVドラマのシナリオの面白さは、また別物なのだなあ、とも思いました。


優れた漫画の画はセリフよりも雄弁で、生身の人間はセリフ+動いてなんぼ。


「漫画原作の良さを映像メディアで伝える」ためには、「原作を改変しないために改変する」緻密な打ち合わせが必要なのだと思います。それがプロデューサーの役目でしょう。


オリジナル作品を書ける演出家不足が深刻で、原作つき作品だらけの宝塚歌劇団も、まったく他人事ではないこの事件。


宝塚で「ここまで原作を改変するなら、この原作を選んだ意味はあるのか?」レベルの改変は、さすがに原作者が故人である場合が多いですが、原作者が御存命の作品で、劇団が不義理をしていないか、いろいろ不安になってきました。

『G.O.A.T』月ノ塚音楽学校オンライン受講の感想


『G.O.A.T』月ノ塚音楽学校の月城先生の授業を、オンライン受講いたしました。



月城かなとは、トップ時代に世の中を斜めから見ていたり、ひねくれていたり、堅物キャラだったりを演じる事が多かったので、


”いかにも”なカタコト日本語の外国人教師役のコメディを、のびのび演じているのを見られて嬉しかったです。


軽く演じているようで、間の取り方など、M-1グランプリばりに緻密に計算されていて唸りました。



宝塚の通常のショーでは、曲の1番を歌ったら捌けて、下級生が繋ぎで別の曲を歌っている間に早着替えして出てきて次のシーンに移って、という構成が多いですが


『G.O.A.T』は、1曲1曲を長く取って下級生に見せ場を作り、月城らによるアコースティックコーナーなど、歌とダンスの「芸」をたっぷりみせる作りで見ごたえがありました。


宝塚で「ミュージカルスター」といえば、望海風斗や礼真琴だと思いますが、月城かなとは「歌役者」として立派なものだと思います。


望海や礼は「直木賞作家」系の歌唱で、楽曲の音程やリズムが難しい歌を歌う時に真価を発揮し、


月城は「芥川賞作家」系の歌唱で、歌詞の文学性が高い曲を歌う時に真価を発揮する。




「キッチュ!」を歌うのを聞くと、東宝版寄りの、エリザベートが悲劇の皇妃というより、市民が貧困にあえぐのをよそにミルク風呂にはいって美女の写真とにらめっこしている「やな女」っぷりにムカついてしょうがない(笑)


スピッツの「空も飛べるはず」。この曲は発表当時、TVドラマの主題歌として大ヒットした有名な曲で、カラオケでも「歌いやすい」曲ですが、この「歌詞」を聞き手に届けるのは実はとても難しいと思うのです。


幼い微熱を下げられないまま  神様の影を恐れて

隠したナイフが似合わない僕を  おどけた歌でなぐさめた


サナトリウム、白衣、看護師、老人...

スピッツ / 空も飛べるはず


しょっぱなから「幼い微熱」に「神様の影」ですよ。


私はこの曲がリアルタイムでヒットしていた時から知っていますが、30年経ってもまだ意味がわかりません。


「子どもが熱を出したので、会社を早引けしまーす」というニュアンスの「微熱」ではないっぽいですよ。


もしも入試で「この歌詞は何を意味しているのか答えよ」と問われたら、開成中学の受験生でもちょっと困るのではないでしょうか。東大の受験生なら簡単なのか?


管理人は月城かなとが歌う「空も飛べるはず」を聴いて、「性」と「死」に目覚めだした時の、羞恥心や親への後ろめたさといった思春期の疼きを思い出しました。


宝塚で、聞き手にこれだけ「歌詞の解釈」について考えさせる歌い手も少ないのではないでしょうか。


「銀の龍の背に乗って」では、あの隆起して蒼ざめた能登の海岸が、痛んでいる人のもとへ向かうヘッドライト・テールライトが見える。



銀の龍の背に乗って



宝塚のコンサートを見ていて、林修先生の国語の授業を受けているような「なるほど」がある歌唱に感嘆いたしました。

宝塚はパワハラを認めたの?認めてないの?



宝塚歌劇団の俳優が急死した問題で、親会社の阪急阪神ホールディングス側が劇団関係者らのパワハラなどがあったことを認め、遺族側へ謝罪する意向を固めた、という報道がありました。


その後劇団の公式ニュースでは「現時点で決まったものはなく、公表できる事実はございません」とのメッセージが出ました。




このたびの宝塚歌劇団宙組生の急逝を受け、ご遺族の皆様には心よりお詫び申し上げます。


本日、当方代理人を通じて、今回の件に関するご遺族代理人との三回目のお話し合いをさせていただきました。なお、お話し合いの内容について一部報道がなされておりますが、現時点で決まったものはなく、公表できる事実はございません。引き続き誠実に協議してまいります。





昨年9月に宝塚歌劇団の25歳宙組団員が急死した問題で、親会社の阪急阪神ホールディングス側が劇団関係者らのパワハラなどがあったことを認め、遺族側へ謝罪する意向を固めたと報じられてから一夜明けた25日、阪急電鉄の広報担当者は困惑を隠せなかった。


同担当者は「3回目の面談があったことは事実ですが、決まったことは何もなく、公表できるようなことはございません」と語るにとどまった。


うーむ。この報道と劇団メッセージの齟齬は何なのでしょうか。


「一部報道」の取材源は、親会社の阪急阪神ホールディングス側でしょうか、ご遺族代理人側でしょうか。


仮説1:劇団がパワハラを認め遺族側へ謝罪する方向性は決まったが、現時点では謝罪の日時など詳細は固まっていないので公表できない。


仮説2:劇団はパワハラを認めていないが、遺族側弁護士が一定の要求の実現を劇団に働きかけるため、広く一般大衆にアピールしてその支持を得ようとする意図でマスコミに情報を流した。


現状は「話し合い」の段階ですが、「法廷」ではなくても、双方が有能な代理人を立てて「戦術」を駆使する世界です。


社会的な注目を集めている事件ですので、仮説2の、ご遺族代理人が、調査報告書を読んでいない大衆の、事実の存否に対する内心の判断に訴えるという「戦術」を使うことはありえるかもしれません。


仮説1のパターンで、非公開で遺族へ謝罪し、宙組公演の再開の道が開く可能性もあり、仮説2とすれば交渉が決裂して裁判となり、宙組公演は数年にわたりストップする可能性もあります。


個人的には『FINAL FANTASY XVI(ファイナルファンタジー16)』を、ゲームファンとして楽しみにしているのですが...

ボイルド・ドイル~新人公演感想



『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』
-Boiled Doyle on the Toil Trail-


の新人公演を拝見しました。




新人公演で主役のアーサー・コナン・ドイルを演じた華世京は、謎タイトル


ーBoiled Doyle on the Toil Trailー


を翻訳するような演技でしたね。


ドイルさんは、スポーツ万能、頭脳明晰で、医師免許を取って開業しても、金にならない。


金のために書き飛ばしたホームズが大ヒットしても、自分が書きたくてたまらなかった歴史小説は評価されない。


バラバラになった家族を呼び戻すこともかなわない。


天からもらった才能を、何に使うか。


ドイルは、


文才は、偉大な人物が、偉大な業績を成す、偉大な物語を書くためにあるべきだ。


ぶっとんだ探偵が、ぶっとんだ事件を、ぶっとんだ推理で解決するぶっとんだ話の、どこが偉大なのだ。


と思っていた。


脳みそが煮え煮えなドイルさんが、骨の折れる世渡りの道を歩いた先に、


自らの分身であるシャーロック・ホームズとの「対峙」


自分と最も近い他人である妻ルイーザからの「自己への肯定」


を通じて、


エンタメ交霊術師ミロ・デ・メイヤー教授のペン=自分の「エンタメ作家としての才能」


を受け入れる。


ドイルはペン1本で、犯罪だらけで流血の絶えない陰惨なロンドンを、名探偵の活躍に胸おどるエンターテインメントの舞台に変えることができる。


『ストランド・マガジン』の発売日に書店に詰めかけたロンドンっ子が感じたのと同じワクワクを、21世紀の小学校の図書室で味わわせることができる。


華世京は


「世の中に、物語は必要だ。」


という結末に至る心理の行程を誠実に演じていて、実によかったです。

不倫がなんだ『仮面のロマネスク』を見ろ



不倫がなんだ。


法院長夫人の悲劇は、あらゆる時代に存在しているじゃないか。


周囲の女性たちをチェスの駒のように鮮やかに盗っていくも、チェックメイト目前で破綻する美貌の青年貴族ヴァルモンも、


愛人に乙女を襲わせる、魔性の未亡人メルトゥイユ侯爵夫人も、


可憐なセシルも、アホのダンスニーも、21世紀の歌舞伎町にも、高松の古馬場にも、どこにでもいるじゃないか。


うちの会社の給湯室ですら、これっぽい話を聞いたことがあるぞ。


宝塚ファンはなあ、普段から今の地上波では放送できなそうな『仮面のロマネスク』みたいな作品を見て、「こんなお話、不道徳だわ!」と眉を顰めるどころか、ジェンヌの芸について真面目に語っているんだぞ。


中には「愛とは何か」「人間とは何か」と哲学しだすファンまでいるんだぞ。


文春よ、不倫ごときで宝塚ファンは驚かないからね!ふん!