「運命は、ダダダダーンと扉を叩く」VS「やるならやってみろ、運命よ。」
昭和の時代、私が子供のころ、学校の図書室においてあったベートーヴェンの伝記には、
交響曲第5番「運命」のひみつ
ベートーヴェン: 交響曲第5番「運命」:第1楽章[ナクソス・クラシック・キュレーション #ゴージャス]
弟子:ベートーヴェン先生、交響曲第5番の冒頭の「ダダダダーン♪」は何を表現しているのですか?
ベートーヴェン:運命は、このように扉を叩く。
交響曲第3番「英雄」のひみつ
ベートーヴェン: 交響曲第3番「英雄」:第1楽章[ナクソス・クラシック・キュレーション #ゴージャス]
ベートーヴェン:フランス革命、万歳!王様も貴族も関係なし、人類平等!ナポレオン、がんば!表紙に「この曲をボナパルトに捧ぐ」と。
弟子:先生、ナポレオンが皇帝になったそうです。
ベートーヴェン:あいつ俗物じゃん(表紙をべりっ)
というエピソードがありました。
これらの逸話は、晩年のベートーヴェンの世話をした、シンドラーという秘書が書いた伝記によるものだそうです。
が、1970年代以降の研究により、シンドラーさんは耳の聞こえなくなったベートーヴェンが、筆談とメモのために使っていた膨大なノートを、勝手に改ざんしていたことが判明!
しかし、ベートーヴェンさんはとうに故人のため、真偽は永遠に闇の中。
確かにね・・・子供のころから、上記のエピソード、いかにも偉人然としすぎて「ホンマかいな」と思っていたわ・・・クラシック業界としても、「いかにも」なエピソードがあったほうが宣伝しやすいしね。
それを今回、上田久美子先生は「やるならやってみろ、運命よ」かあ。
これまでいかにも偉人然とし過ぎていて、近寄りがたかったベートーヴェン像に、ウエクミはどのような解釈を打ち出すのか?期待していますぞ。