宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

個人的に「やもめ」が苦手な理由



星組 トップ娘役について

2024.08.23


この度、星組トップ娘役 舞空 瞳が、星組東京宝塚劇場公演『記憶にございません!』/『Tiara Azul -Destino-(ティアラ・アスール ディスティーノ)』の千秋楽(2024年12月1日付)で退団致しますが、舞空 瞳の退団後、固定的なトップ娘役は当面の間設けず、公演ごとに柔軟な配役を行って参ります。


作品ごとに配役を行うことで、様々な娘役がそれぞれの個性を発揮し、バリエーション豊かで魅力的な公演をお客様にお届けして参りますので、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。   


紅子:なんだろう、この「でしょうね」感。


管理人:礼真琴の技量は、もはや孤高の独立峰だからねえ。


独立峰とは、🗻富士山のような、他の峰々と離れてひとりそびえ立つ山のことなんだけど、礼真琴は富士山どころじゃない。


地学の授業で、
「太陽系で一番高い山は、火星のオリンポス山で🗻エベレストの3倍!)」


と習った時、頭の中で夢想した火星旅行で見上げたオリンポス山並みに高い。


紅子:地球スケールを超えて、礼真琴を礼賛!


ってファンタジー・ホラロマンは別の演目だから!


管理人:そもそも、「やもめ」って「妻を失って独りでいる男性」という意味ですけどね。


昔は、社会福祉の対象は「鰥寡孤独(かんかこどく 鰥は男やもめ,寡は寡婦,孤は孤児,独は子のない老人を意味する)と定義されていたのよね。


「やもめ」を使ったことわざを検索すると


”男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く”


(独り暮らしの男は、とかく家事がおろそかになり、身のまわりが不潔になりがちだが、女の独り暮らしはこぎれいで、周囲の男たちにもてはやされる。)


「やもめ」という言葉には、不潔で孤独、みたいなイメージがまとわりついていて、令和のSNSでは使いづらい用語に感じるのよね。



管理人:礼真琴、今後はシングルライフ、というわけでもないよね。


紅子:公演ごとのヒロインはいるんだしね。


管理人:新人公演で、ヒロイン経験としてカウントされない娘役さんが、ちょっと気の毒かな。


紅子:劇団が公式に


「※今回の新人公演で主演男役の相手役を務めた経験は、ヒロイン経験にカウントしません」


とアナウンスするわけではないし。


劇団の中では、ヒロインカウントされているかもしれないし。


管理人:新人公演主演0.5回でトップになる人もいるしね。


紅子:もはや、固定の相手役がいなくて寂しい、という次元の話じゃありませんし。


管理人:ファンは過去最高を更新し続ける礼真琴と、星漢と、個性的な娘役たちによる毎公演バラエティーに富んだ舞台を楽しめるわけよ。


楽しみー♪

あがたの歌で泣くなんて 彩風咲奈DS『LAST MISSION』


彩風咲奈ディナーショー『LAST MISSION』の配信を視聴しました。


構成・演出:指田珠子


キャスト:彩風咲奈 / 縣千 / 紗蘭令愛 / 蒼波黎也 / 華世京


トップと男役4人というちょっと珍しい構成。


そもそも宙組で起こった諸問題の根っこには、宝塚における「芸の伝承」の在り方についての問題があるのでしょう。


ベルばら四天王の頃には、アラン・ドロンが「同じ時代を生きる二枚目、稀代の美男子」で、「男役像の目標はアラン・ドロン」でよかったんですよ。


現代のハリウッドのイケメンスター...え、ちょっと待って…誰だろ?


(「アベンジャーズ」などで活躍するアクション系のスターはいますが…宝塚の男役像の生きたお手本となるとちょっと違う)


もう、宝塚の男役のお手本は、TV画面にも映画のスクリーンにも探しづらくなってしまった。


男役芸は「先輩男役から教わる」以外にない。


絶滅危惧種のような男役芸を、どう伝えるか。


ディナーショー『LAST MISSION』は、タイトルどおり、彩風咲奈から宝塚の未来を担う若き男役たちへの、公開授業を見ているようでした。


安寿ミラ振付のアルゼンチンタンゴ、南半球の港町のうら寂しい酒場に集う男達の暗い情熱と哀愁をダンスで表現という、新人公演世代の男役に


「やれるもんならやってみろ!」


課題に挑む!


『deja vuがにげる頃』は初期の『おしゃれカンケイ』のオープニング・テーマだった曲

deja vuがにげる頃 / coba : ピアノ(ソロ) / 初級


彩風咲奈の模範演技に、必死に食らいつく下級生たち。


縣、成長したなあ。リズムの取り方が正確なうえに、振りに「サウダージ(ポルトガル語で郷愁、憧憬、思慕、切なさ)」のうたごころがある。


華世京が『蒼穹の昴』を新人公演で演じた時には、時間の都合で割愛された『昴よ』を彩風咲奈と2人で歌う。


新人公演で彩風咲奈の役を5回も演じた縣による、「ファントム」のエリック役の瞳。あんなに太陽のただ中のように燦爛と輝く瞳を初めて見た。


父親のキャリエール役で彩風咲奈が「エリックお前は 私の 愛おしい 息子だ」と歌う


「You Are My Own」


縣の歌で泣くなんて、不意打ちでした。


想いが技術を凌駕する瞬間って、本当にあったんだ。


彩風咲奈は、歌舞伎の舞台で息子の初舞台を見守るお父さんのようでした。



【松竹特別歌舞伎】獅童一家の全国巡業に密着!

彩風咲奈サヨナラショーで初めて気づいた魅力


彩風咲奈さよなら公演『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-の千秋楽、サヨナラショーを配信で視聴しました。


彩風の芸風には、オリンピックの新体操競技で、国の代表のスポーツエリートの演技を見る時のような雰囲気を感じていました。


長い手足を生かしたスタイリッシュなダンスの美と、天に投げたボールの行方を凝視するような、遠い憧れを宿したまなざし。



サヨナラショーでは、「ブルースレクイエム」(もとは映画『俺たちに明日はない』を原作にした荻田浩一作『凍てついた明日-ボニー&クライドとの邂逅(かいこう)-』の劇中歌)が白眉でした。


彩風ソロから朝美が歌い継ぎ、


彩風と夢白がデュエットダンスを踊ってラスト、クライド(彩風)がボニー(夢白)にグッと腕を差し出した瞬間のかっこよさったら!


『BONNIE & CLYDE』では、銀行強盗の逃避行の果てに、警官たちが待ち伏せるルイジアナ州道154号線をギブスランドからセイルズに向かう道、


クライドがボニーを、あの世への道行にエスコートする腕。


ミュージカル『BONNIE & CLYDE』は、一つ間違うと


「ザ!世界仰天ニュース 2時間特別版 伝説の連続銀行強盗カップルの真実!」


になりそうなお話を、見る客に


「死を抱え込まない人生に、どんな真剣さがあるだろう」


という感慨すらわき起こしました。


男性の俳優だって明日の保証はない職業ですが、大劇場のメインキャストを演じている時期に俳優引退を見据えている人はレアでしょう。


男役の鼓動が止まるまでの一刻一刻をいとおしむ時間に歌い、踊り、エスコートする「ブルースレクイエム」


彩風咲奈サヨナラショーで『BONNIE & CLYDE』は完結したんですね。


『ドン・ジュアン』感想




『ドン・ジュアン』

≪DON JUAN≫ un Spectacle Musical de FELIX GRAY

Licensed by NDP PROJECT

潤色・演出/生田 大和   




……スペイン、アンダルシア地方。赤い砂塵の吹き荒ぶセビリア。


女、酒、そして目眩(めくるめ)く快楽を追い求め、悪徳と放蕩の限りを尽くして生きる男がいた。


あらゆる男が憎みを募らせ、数多の女たちを魅了してきた、男の名はドン・ジュアン。


それは或る夜のこと。ドン・ジュアンは高潔な騎士団長の娘を、欲望のままに誘惑する。


娘を穢されたと知り、怒りに駆られた騎士団長は勇敢にも決闘を挑むが、ドン・ジュアンの非情な剣に命を奪われる。


しかし闘いが終わり、立ち去ろうとするドン・ジュアンの前に、不気味な影が立ちはだかる。


それは、確かにこの手で葬った筈の騎士団長の亡霊。


「いずれ『愛』によって死ぬ。『愛』が呪いとなるのだ」


と、呪詛の言葉を遺し亡霊はドン・ジュアンの前から姿を消す。


亡霊の言葉など……恐れること無く、日毎夜毎ドン・ジュアンは変わらず快楽に生き続ける。


だが、騎士団長の石像を作る彫刻家のマリアと巡り会ったことでドン・ジュアンの運命が変わる。


そしてそれは、彼を破滅へと導く「愛の呪い」の始まりであった……



この作品のキモは、「ドン・ジュアンはマリアのどこに惹かれたのか」なのだと思います。


普通、2,000人以上の女性を渡り歩く男と、石の彫刻家の女性って住む世界も価値観も違い過ぎて、話が合わないと思うんですよ。


劇を見ていても、正直「あ、2人はここで惹かれたんだな」ポイントがよくわからなかったので、自分なりに妄想で補ってみました。


まとめ:ドン・ジュアンは、自分の人生を「作品」にしてもらいたがっている。


「Don Juan」は、17世紀スペインの伝説上の人物。


元の伝説では、


”プレイボーイの貴族で、貴族の娘を誘惑し、その父親(ドン・フェルナンド)を殺した。その後、墓場でドン・フェルナンドの石像の側を通りかかったとき、戯れにその石像を宴会に招待したところ、本当に石像の姿をした幽霊として現れ、大混乱になったところで、石像に地獄に引き込まれる。”


このお話はモーツァルトのオペラの題材になったことで、モーツァルトの音楽が人類を魅了する限り続くだろう命を得ました。


※モーツアルトのオペラ版のラストは元の伝説とほぼ同じ。

新国立劇場オペラ『ドン・ジョヴァンニ』ダイジェスト映像 Don Giovanni-NNTT


数多のクリエイターにインスピレーションを与えてきたお話で、最近では村上春樹の『騎士団長殺し』という作品の題材になっています。


「Don Juan」伝説には、クリエイターに「騎士団長の亡霊」とは何のメタファー(比喩)か?という謎へ自分なりの解釈をしてみたい、という欲求を沸き立たせるものがあるのでしょう。


宝塚版『ドン・ジュアン』は基本、愛欲に溺れて生きる男が、真実の愛を見つけたと思った矢先に、恋人のフィアンセに刺されて死ぬというベタなお話です。


ベタなお話に個性を与えるのは、主人公に呪詛をかける「騎士団長の亡霊」と、


目に見えるものでなく、「石の声を聞きたいの」という欲求を語る石の彫刻家のヒロイン・マリア。


マリアは、近代以前の女性クリエイター自体が珍しい時代に、男性でも大変な「石の彫刻家」という職業を選んでいる時点で、ただのヒロインではありません。


「石の声を聞いて作品を彫りたい」とは、芸術家のイデアへの憧れ、


「目に見えるものではなく、心の眼で見たものを形にしたいの」


を端的に語っているのでしょう。


絵画や木造彫刻より「石」のほうが、芸術の「時を超えて残る」チカラに説得力がありそうです。


マリアは仕事として騎士団長の彫刻の作成依頼を受けていながら、劇中では”騎士団長の顔”のイメージがわかず、手つかずのままになっています。


ドン・ジュアンは騎士団長の亡霊の呪いのとおり、『愛』を知り、『愛』によって死んだ。


残されたマリアは、おそらく「騎士団長の石像」を完成させるでしょう。


ドンジュアンの人生はマリア作「騎士団長の石像」によって現実化され、街をゆく人々に


「昔、この石像に「愛の呪い」をかけられたプレイボーイがいてね」


と語り継がれ、だんだん観光地化し、ついには国境も時代も越えて


『ドン・ジュアン伝説』


として後世の宝塚ファンにまで考察されるようになる。


ドン・ジュアンは騎士団長の呪いによって若死にし、伝説となり、人類の文化史にその名を残したのだ。

フランス五輪開会式でのアントワネットの扱い…



オリンピックでの一番楽しみは「開会式&閉会式」な管理人でございます。


今回もオリンピックの開会式の中継を見ていましたが、


なんだか、しみじみ


「おフランスも歳をとったなあ」


と思いました。


宝塚の舞台で繰り広げられる「フランス」のイメージと、現実世界の2024年のフランスが別物なのは、頭では分かっているのですが。


世間の「宝塚のイメージ」といえば、


・100年近く前に初演された『モン・パリ』っぽいレビュー


・50年前に初演された『ベルサイユのばら』


・越路吹雪が歌ってた『愛の賛歌』!



宝塚で「エリザベート」を何度再演しようが、フレンチミュージカルの大作を上演しようが、世間の宝塚の舞台イメージって、この50年ほとんど上書きされていないように思います。


日本の世間一般の「フランス」へのイメージも、越路吹雪がTVの音楽番組でシャンソンを披露していた頃から、そんなに上書きされていないのかなあ。


開会式のラスト、エッフェル塔でセリーヌ・ディオンが歌っていた『愛の賛歌』って、香川の農村地帯の実家の母が、カラオケでよく歌う十八番なんですよ。


母は「セリーヌ・ディオンが、越路吹雪の持ち歌を歌っているね!」と冗談を言っていましたが、


50年前のフランスのコンテンツには、農村漁村山村に住む人にもシャンソンを歌わせるほどのパワーがあったわけですよ。


あれから50年!


現代の日本人が知る、現代フランスの最新ソングって…



開会式出演歌手の1人「アヤ・ナカムラ」

Aya Nakamura - Djadja (Clip officiel)


ちょっとフランスのヒットチャートを調べてみましたが、チャート上位はアフリカやイスラムの匂いがする男性シンガーのヒップホップやラップが多数を占めていました。



Soolking - Suavemente [Clip Officiel]


ひょっとしたら、この20年「日本でいちばん商売になったフランスの音楽」は、


『1789』のドーヴ・アチアや『ロミオ&ジュリエット』のジェラール・プレスギュルヴィックのナンバーなのか?



セーヌの岸辺で繰り広げられるフレンチカンカンは、全っ然そろってないし、


せっかくレディー・ガガを呼んだのに、狭いステージ&カメラワークの悪さで、ダンサーのパフォーマンスが、NHKの「うたコン」でもできそうな、ちまちましたダンスに見えてしまうし。


ぶつぶつ言っていたら、朝の開会式振り返り放送ではほぼ触れられていない「マリーアントワネット」ですよ。


NHKの見逃し配信で見ることができますが、


中継開始から約45分後、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」が聴こえてきた!


つい一緒に


♪戦う者の歌が聞こえるか?♪


などと歌っていると


コンシェルジュリー(処刑前のマリーが投獄されていた建物)の窓に、深紅のロココのドレスを着た女性がいる!



あれ…



首が、無い!(断面の骨とかリアル!)



マネキンが、髪を優雅に結いあげた生首を抱えている!


生首の口が、動いている!


コンシェルジュリーの窓という窓に、生首を抱えた女性がいっぱいいる!


ロックギターが鳴り響き、コンシェルジュリーの前を「たゆたえども沈まず」のメッセージを掲げた船が通り過ぎる!


ジャンヌっぽい女性が「あの女をギロチンに!」みたいな感じで煽ってる!


窓から赤いテープがパーン!🎉🎉🎉


観客が



「ウオー!」



「今も皇室が続いている」ことをある意味自慢している日本と、王制を打倒したことが自慢のフランスの、歴史観の違いをまざまざと見せつけられました。


表現の自由としてはアリだと思いますし、日本のゴスロリ系ビジュアルバンドのPVで似たような演出を見たこともあります。


ただなあ、オリンピックでこんなことをするのか、という想いもあります。


この手の演出で、マリーと共に「ルイ16世の処刑」や「ロベスピエールの処刑」もやるならまだ意味があると思うのです。


「多様性の時代」的なメッセージを掲げつつ、14歳で政略結婚させられ、子どもと引き離され処刑された女性の人権は無視して、処刑シーンを見世物にするような演出ってどうなの。