宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

悪魔城ドラキュラ感想 葬送のアルカード

こんちゃん



原作の「悪魔城ドラキュラシリーズ」は、1986年に第1作が発売され、その後シリーズ化されているスーパーマリオ系のアクションゲームです。



『悪魔城ドラキュラX・セレクション月下の夜想曲&血の輪廻』プロモーションムービー


ゲーマーは、アクションゲームをする時に「なぜ敵と戦うのだろう」と、襲ってくる敵の心理までいちいち考えて遊ぶものでもないでしょう。


アクションゲームは「戦うもの」で、「敵は襲ってくるもの」。


ゲームファンにとっては、ゲーム上で語られなかった設定が補完されるのを見て「なるほど!あの戦い、あのキャラの裏切りには、こんな背景があったのか!」という新鮮な驚きがあるのかもしれません。


今回の脚本は、原作ゲームのことを知らず、舞台で上演する「お芝居」を見に来た観客に、「なぜこの人たちは戦うに至ったのか」を納得させるには、書き込み不足な感は否めませんでした。


個人的には、日本のマンガ・アニメ・ゲームなどにおける「鬼(吸血鬼)」像の変化、そして


「引きこもりがちオタク」から「推し活」への変化


が透けて見えるのが興味深かったです。


昭和の頃まで、一般の日本の「鬼」イメージは、桃太郎や節分の豆まきのパッケージに印刷されている「地獄の鬼」


今では、鬼と言えば「鬼滅の刃」


昭和の鬼は、民俗学的な「災いへの畏怖」や、仏教の教えで「地獄は怖いぞ」といったイメージだったのが、令和になるとアニメやマンガなどの鬼描写の変化の影響もあり


「人間が、怨恨や憤怒によって鬼に変身する」


というイメージで語られるようになってきました。


奇しくも本公演のひとつ前の星組公演が、原作は1987年に初演された「阿修羅城の瞳」でした。


宝塚版の脚本では原作をだいぶカットしているそうなのですが、阿修羅城の鬼は「桃太郎」要素がやや強め。


「悪魔城ドラキュラ」は、日本の鬼ではなく西洋のドラキュラですが、


ドラキュラ父(輝月)は「妻を人間に殺されたことをきっかけに、怨霊化」


そして城の奥に引きこもり、人間を憎悪。人間(世間)からの偏見を逃れ隠れキリシタンのように生きていた、昭和のオタク的キャラ。


ドラキュラと人間の間に生まれた子アルカード(永久輝)は「鬼=憎悪」イメージからはもう離脱している。


「葬送のフリーレン」的な、人間よりはるかに長命(あるいは不死)で、死すべき運命の人間とは距離を取る孤高の「エルフ族」像に近づいている。


そしてヴァンパイアハンターのヒロイン・マリアは


「憧れの推しは、ドラキュラ(鬼)!」