なぜ、彩吹真央はトップになれなかったのか
OG彩吹真央、「今夜ロマンス劇場で」の演技指導を担当
「あの子、今こんなこと考えているな」とか「ここ演じにくいと思っているだろうな」とか、私自身が現役だったときの感覚と、今現在の役者としての感覚を混ぜ合わせて、アドバイスしています。
例えば、宝塚大劇場という大きな舞台で、心の機微や変化をどう表現するか。客席から見るのと実際に演じるのでは、受け取り方が全然違います。私自身、現役のときはなるべく客観視しようとしていましたが、できていない部分もあったと思います。
また、ファンの方がどんなところにキュンとするかも考えています。男役と娘役が、どうセリフを交わしたら、どう手を取り合ったらキュンとするのか。宝塚ファン、宝塚の元生徒、そして現役の役者として、27年の芸歴からいろいろ引き出してアドバイスを送っています。
彩吹真央さんが、「キュン💛」の極意を指導!
残念なのは、記事にその「キュン💛」の極意が載っていない!企業秘密?(笑)
そういえば「キュン」って何でしょう?
確かにこの心に感じるものではあるのですが、言葉にしようとすると逃げてしまう「キュン」の定義って?
キュンとする
胸が軽く締め付けられるような(往々にして甘い)感情を表現する際によく用いられるオノマトペ的表現。
典型的には
「好意を持っている相手がふとした拍子に急接近」とか
「ぜんぜん意識していなかったのにふとした行動や言動で急に異性として意識してしまった」
ようなシチュエーションが「キュンとする」ような場面に該当するといえる。
「意識していなかったのに」「ふとした拍子に」胸が締め付けられるのが「キュン」なんですね。
事前に「ああ、このシーンであのスターさんは、ファンをキュンとさせるために、こんなテクニックを使うのね」とかばらすのは野暮ですね(笑)
彩吹さん、意識させた時点で無意識でなくなってしまう、微妙にしてとらえがたい「キュン」を追求し、
その生徒にぴったりのキュンを探し出して演出するって、ものすごく高度な演出家ですね。
なぜ、彩吹真央さんはトップにならなかったのか
彩吹真央さんは1994年に宝塚歌劇団に入団、新人公演主演2回、東上公演3回という御曹司でしたが、水夏希トップ時代に2番手退団。
いわゆる上級生2番手退団ではなく、ファンにトップ候補路線とみなされていたスターの2番手退団は、当時は10年に一度くらいの事態でしたので、ファンコミュニティも荒れていた記憶があります。
「なぜこの人はトップになれない?こんなに歌うまでダンサーで演技力があるのに?」
「〇〇さんが組替えしてきて蓋されたから」
「下級生の〇〇さんのスポンサーが・・・」
いろいろ言われていましたねえ。
実は、管理人は、彼女がトップにならなかったこと自体は、それほどびっくりしなかったのです。(もっと穏便にことを済ます方法はあったと思いますが)
新人公演主演の頃から、天性の「華」でキュンキュンさせるタイプでは無かった。「華とは」「キュンとは」について客観的に考えるタイプ、現役で言うと凪七さん的な。
当時は
2番手=プレトップ
3番手=プレ2番手
4番手=プレ3番手
みたいな意識が強い時代でしたが、
宝塚以外で考えたら、
TVドラマで準主役の俳優さんは、将来の主役候補か、主役を張れなくなったかつての主役、ばかりではなく、
主演はちょっと違う、主演より準主役ポジのほうが輝く、
というポジの方もいますよね。
彩吹真央さんの、高度な観察眼、客観性、批評家的資質。
スポーツ選手でいう、現役中はエースでスターというわけではなかったが、引退後にコーチ・監督としての適性を発揮されるタイプ、
準主役というポジが輝くタイプだったと思います。
男役トップになる人は、「男役トップに向いている」人
野球の名将・野村克也氏は
「エースと4番は育てられない」
いつの時代でも、どこの球団でも、真のエースと4番が務まるほどの選手は、ジュニア、甲子園の頃からエースと4番、ドラフト1位の即戦力か、他球団でそういう役割を評価されて移籍した実力者がほとんど。
ドラフト下位でプロ入りし、二軍から這い上がって4番やエースへ成長した選手は滅多にいない。
身も蓋も無い話ですが、私は男役トップとは、這い上がって「成る」というよりは、宝塚音楽学校の受験生1,000人にひとり、ふたりいるかどうかの、「男役トップに向いている原石」を見つけられるかどうか、だと思っています。5組中4組は。
「宝塚1stフォトブック2022-2023」メンバーから、残り2割の下克上はあるか?