『仮面のロマネスク』感想
雪組公演ミュージカル『仮面のロマネスク』~ラクロ作「危険な関係」より~ を配信で視聴いたしました。
原作と宝塚版の違い
宝塚版『仮面のロマネスク』の人物関係と前半のあらすじは、ラクロ作「危険な関係」とほぼ同じです。
ヴァルモン子爵(朝美)とメルトゥイユ侯爵夫人(夢白)はかつて恋人であり、いまは共通の「復讐」を動機として結ばれている。
2人に共通の仇敵が、おぼこいセシル(華純)と結婚することになった。
侯爵夫人はヴァルモンにセシル誘惑を迫る。しかしそのとき、子爵の心は信仰心厚いトゥールベル法院長夫人にひかれていた…
原作でも宝塚版でも、ヴァルモンはセシルとトゥールベル法院長夫人を「攻略」してゆきます。
原作のラストは
セシル:ヴァルモン子爵にもダンスニー(縣)にも捨てられ、修道院に入る。
トゥールベル法院長夫人(希良々):ヴァルモンに捨てられ、精神を病み死去。
ヴァルモン子爵:ダンスニーとの決闘で死ぬ。
メルトゥイユ侯爵夫人:ダンスニーに悪行を暴露され,自身も天然痘に罹患して容貌が激変する。
という流れになっています。
宝塚版は
トゥールベル法院長夫人:精神を病み死去
ダンスニーとセシル:めでたく結ばれ、おそらく幸せに生きる。
ヴァルモン子爵とメルトゥイユ侯爵夫人:革命が迫る中、仮面の下の本心を告白しあい、2人だけで最後のダンスを踊る…
感想:ヴァルモン子爵は、メルトゥイユ侯爵夫人の「アバター」説
ラクロ作「危険な関係」は、普通の小説形式ではなく【登場人物たちが交わした手紙集】の形式となっています。
ヴァルモン子爵とメルトゥイユ侯爵夫人が、人の心情をチェスの駒のように操り、偽りの恋を「ゲーム」として冷徹に遂行していく…
よく考えたら現代の「ロマンス詐欺師」がSNSでやっていることと同じことが、
フランス古典文学の世界観と、柴田侑宏先生の珠玉のセリフと、ジェンヌたちの美しい口跡にかかると、なんと甘美で、自分にも他人事でない切実な話になるのでしょう。
貴族社会で生きるヴァルモン子爵にとって、恋愛は「成りあがる」ための方策。
メルトゥイユ侯爵夫人は14歳~15歳で「愛の無い結婚」を強いられ、「不倫は文化」「不倫はお仕事」という貴族社会を生きてゆく。
「真実の愛なんて求めたら、身の破滅」を人生の教訓として生きてきたはずが、
偽りの愛情が真の愛情に変わり、「ミイラ取りがミイラになる」…
夢白あや演じる自信に満ちたメルトゥイユ侯爵夫人 を見ていると、サロンで魅力的な会話で場を盛り上げ、事業をやっても成功しそうな才気を感じました。
メルトゥイユは、19世紀貴族社会の制限だらけの「侯爵夫人」という役割に飽き足らず、成り上がりのヴァルモン子爵に自分を投影したかったのでは?
ある意味ヴァルモンは、メルトゥイユの仮面、現代でいう「アバター」。
メルトゥイユはヴァルモンというアバターを操作して、
フランス貴族社会=世間=国家秩序 の象徴である法院長(の妻)を征服し、自分の愛をわからなくさせた世間に一矢報いたかった。
「同志」ヴァルモンがトゥールベル法院長夫人側に心を奪われることは、自身のアバターを乗っ取られることと同じ。
ずっと踊り続けてきた、紳士淑女の集う舞踏会のほうが「メタバース」で、2人”だけ”の舞踏会こそが「リアル」だったというラストで終わる『仮面のロマネスク』。素晴らしいタイトルだと思います。