「今夜、ロマンス劇場で」映画版への正直な感想
皆様。三が日をいかがお過ごしでしたでしょうか。
管理人は、年末にミュージカル版北斗の拳『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』を視聴して以来、胸の奥の熱き魂が呼び覚まされ、
息子と「北斗百裂拳!あたたたたたたたたたたたたた!」と北斗の拳ごっこにいそしみ、
配信で「北斗の拳」アニメ版をイッキ見し、
ミュージカル『フィスト・オブ・ノーススター〜北斗の拳〜』【M0 序曲】【M1 宿命】
心を世紀末に残したまま、自宅に戻りました。
・・・
「紅白歌合戦」にも「女性歌手を紅、男性歌手を白とチーム分けして対抗戦にするのは、ジェンダーレス時代にそぐわないのでは?」という声が出る時代。
作品を「女性向け」「男性向け」などとジェンダーで分けるのも時代にそぐわないのかもしれません。
管理人は戸籍上は「女」となっておりますし、妊娠・出産した記憶があるので女性だと思うのですが、
いわゆる「女性向け」とされるコンテンツより、「男性向け」とされるコンテンツに魂を揺さぶられる傾向があるなあ、と思います。
前振りが長くてすみません。
自宅に戻って、宝塚版「今夜、ロマンス劇場で」の予習のため、映画版を視聴いたしました。
注:映画版の結末の核心までネタバレ感想です。
映画『今夜、ロマンス劇場で』予告編【HD】2018年2月10日(土)公開
あらすじ
TVの普及で映画産業が斜陽になり始めた1960年。主役は映画監督を夢見るも、ミスだらけでうだつのあがらない助監督、健司。
彼の唯一の楽しみは、通いなれた映画館の倉庫で見つけた、今は映画史にも残っていない、語る人もいない、忘れられたモノクロの娯楽映画「お転婆姫と三獣士」のフィルムを閉館後に上映してもらい、ヒロインのお転婆な姫、美雪を一人でうっとりと見つめる事。
ある日、日本に一つしかない「お転婆姫と三獣士」のフィルムが売りに出されることになった。
もう美雪に会えなくなる!
最後の上映中、フィルムから急にヒロイン美雪が飛び出してくる。
「私を見つけてくれて、ありがとう」
モノクロの世界しか知らない美雪は、カラフルな現実世界ではやることなすこと、はちゃめちゃで健司は振り回されっぱなし。
でも、2人は惹かれ合ってゆく。しかし美雪には秘密があった。「人のぬくもり」に触れたら、美雪はこの世にいられなくなるのだ・・・
管理人の採点表:映画偏差値52
異世界のお転婆姫がこっちの世界に逃げ出して、てんやわんやのロマンスは「ローマの休日」や「カイロの紫のバラ」
「お転婆姫と三獣士」の設定は「オズの魔法使い」
主人公が通い詰める映画館と映画館の主の関係は「ニュー・シネマ・パラダイス」
人のぬくもりに触れたら消える定めのヒロイン美雪は、民話によくある「溶けてしまった雪ん子」
と、映画史に残る名作等へのオマージュを散りばめ、映画ファンのみならず宝塚ファンなら一度は思うだろう
「ああ、贔屓みたいな男性(女性)が舞台から飛び出してきて、私とお付き合してくれたら」
という妄想を、実際にくりひろげるロマンス映画です。
少女マンガが好きな方には楽しめると思いますが、少年マンガ好きな管理人には、
うーん、悪くは無いが、少女マンガ的なお話を、少年マンガが得意な監督に任せちゃったなー感。
監督の人選が?
監督の武内英樹監督は、驚異の汚部屋の天才ヒロイン「のだめカンタービレ」、SF風呂コメディ「テルマエ・ロマエ」、
東京VS埼玉の抗争を描く「翔んで埼玉」、怪盗と警官の恋「ルパンの娘」といった作風でこそ輝く方で、切ないロマンスを真正面に扱うと、”柄違い”感がある。
映画から飛び出した美雪が「こっちの世界」でドタバタを繰り広げる前半は、まあテンポよく進むんだけど、
美雪が他人にひどい怪我をさせたり、いたずらとか笑いごとですまないレベルのことをやらかすので、どうにもヒロインに感情移入しにくいし、そんなヒロインに惹かれる健司にも「なんで?」と思ってしまう。
美雪が「人のぬくもりに触れたら消える定め」とわかってからはシリアスな展開になるのだけど、
シナリオが1時間48分の尺にするにはエピソード不足で、75分で終わる話を無理やり引き延ばしてみたが、ちょっと間が持たない感・・・
”絵面”として綺麗な画面はあるんだけど、「動きで語る」演出は今一つ。武内英樹監督は、「ストーリー」マンガより「ギャグマンガ」が向いていると思います。
いっそ75分でテンポよく終わらせたほうが、完成度が上がったと思います。
ハッピーエンディングの人魚姫?
映画版「今夜、ロマンス劇場で」について、好みが分かれるポイントは、
異世界から現れたヒロインと主人公とのロマンスが「ひと時の夢」に終わらず、主人公が「ヒロインに触れない定め」を受け入れたうえで夫婦関係となり、
ヒロインは歳を取らないのに、主人公はだんだんと年老いてゆくが、何十年もずっとパートナー関係である、という点にあると思います。
ここが、個人的には「共に歳を取れない相手と一緒にいるのは、自分なら耐えられない」と思ってしまって、イマイチ乗れなかった。
雲の上(王侯貴族)のヒロインと冴えない新聞記者のひと時の恋「ローマの休日」、映画のヒーローと冴えない主婦が恋に落ちる「カイロの紫のバラ」、子供に恵まれない夫婦にやっと恵まれた雪のように白い女の子が、あっさりと炎に溶ける「雪ん子」伝承、
異世界の存在と現世の存在との恋は、みんな、最後はうたかたの泡のように儚く消える。
「一瞬の永遠」というけれど、たとえば「人魚姫」は儚い話であるからこそ、その話を聞いた人の記憶に忘れ難い印象を残し、作者が死んでもなお語り継がれる「作品としての命」を得た。
「人魚姫」がハッピーエンディングだったら、作者の死後も語り継がれる話になったであろうか?という思いを映画版「今夜、ロマンス劇場で」に感じました。
「忘れられた作品」を偏愛するということ
個人的には、映画版「今夜、ロマンス劇場で」は、主人公とヒロインのラブロマンスとしてはイマイチ乗れなかったのですが、
自分はとっても大好きなのに、世間からは「忘れられた作品」を偏愛し続ける、ということのメタファーとしては、ジンとくるものがありました。
誰にだって、子供の頃、青年時代に夢中になった作品があると思います。
「源氏物語」「シェイクスピア」クラスの古典は、数百年にわたって舞台化、映像化され続けて生きています。
でも「ベルサイユのばら」「北斗の拳」クラスの作品だって、宝塚やパチンコとのコラボなどで何十年も生き延びていて、
「北斗の拳」は舞台化、配信のおかげで、今40年越しに息子と北斗の拳ごっこができたけれど、「源氏物語」「シェイクスピア」レベルになれるかはわからない。
この世で日々発表される作品の99%以上は、残酷だけれど、「ベルサイユのばら」「北斗の拳」クラスにもなれない。
著作権で保護される作者の死後70年どころか、作者の存命中から、膨大な作品群の海にまぎれ、「過去の作品」としてほとんど顧みられず、絶版となり、お金も生まない。
どれだけ売れっ子になろうとも、「文化史」にも載らず、全集からも外される、「時代を超えられない」作家がほとんどである。
この映画のラスト、老いた健司は、自身がかつて映画化しようとして叶わなかった、美雪とのラブロマンスの物語の脚本を完成させて亡くなる。
さすがに結末ネタバレになるので伏せますが、時の流れの中で忘れられつつある作品を愛する「衰退ジャンルオタク」には、身に沁みるラストでした。
今の時代は、健司のように映画製作会社に入って映画監督になって、大好きだった作品の映画化を目指す!という大ごとをしなくても、SNSを使って、大好きな作品の2次創作を発表して、同好の士と繋がることができる。
1本しかフィルムが現存しない「お転婆姫と三獣士」とは違って、発表した作品を皆で「共有」できる。
SNSコミュニティの存在で、作品のファンが存在することをアピールして、作品の命が永らえることに繋がるかもしれない。
プロの書評家でない素人が、TikTokで30年前に発表された小説について熱く語ったことをきっかけに、その作品が再版され、
何万人もの新たな読者、美雪にとっての健司をみつけることになった例もある。
映画版「今夜、ロマンス劇場で」は、ラブロマンスというより、忘れられつつある作品を愛し続けるオタクへの賛歌として興味深かったです。