望海風斗「歌っている」ことすら忘れさせるアクアヴィーテな歌い手
望海さんの退団発表を受けて、宝塚史に残る稀有な歌い手への、超個人的なファンレターを綴ります。
「歌がうまい」にもいろいろある
例えば外部の音大卒のオペラ歌手にも、ものすごく歌がうまいんだけど(当たり前)、芝居と歌が分離していて、これはオペラという芝居仕立てで歌う必要があるのだろうか?という方もいます。
また宝塚でも、多少音程が怪しくても(汗)芝居っ気で乗り切って魅せてくれる方もいます。
技術の縫い目を見せない
望海さんの歌って、逆説的な表現ですが、「歌っている」ことを忘れさせてくれるんですよ。「天衣無縫=天女の衣は縫い目が無い」といいますが、彼女は「今がんばって超絶技巧で歌っています!」という技術の縫い目を見せない。
そして歌と演技が分離していなくて、シームレス。歌うたび客を役の感情の渦に引きずりこんで、客自身もとんでもなく劇的な体験をしたような気にさせてしまう。
音源を繰り返し聞いても、全く同じ歌唱のはずなのに、聞くたびに新しい感情が、今沸いてくるような瑞々しい感動がある。そしてまたあの歌が聞きたくなる。
望海さんの歌=アクアヴィーテ
安い酒ほど、「酒」であることを主張して喉につっかえる。上質な酒は命の水(アクアヴィーテ)のようにするすると喉を潤し、極上の陶酔の記憶だけを残してくれる。
望海さんの歌声も、極上のアクアヴィーテでありました。これから千秋楽まで、彼女はどこまでの高みに上ってゆくのでしょう。見届けさせてくださいね。