宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

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注:このツンツン頭は、弁護士を志し、最新の司法制度を学ぶ為、明治時代の大日本帝国から万国博覧会を目前に控えた大英帝国への留学を果たした、



法学を学ぶ為にドイツに渡った、日本陸軍所属の某国費留学生の大先輩です。(森鴎外がドイツに留学したのは、1884年~)





紅子:成歩堂龍ノ介と太田 豊太郎では、どっちがよりエリートなの?


管理人:世界で最初に近代的な民法典をもったのはフランスで、ナポレオンが制定させたフランス民法典(1804)は19世紀を通じて各国の民法典の模範とされてきました。


明治政府もフランスの法学者に民法典編纂を依頼し、当時はフランス民法典を翻訳したものをそのまま日本民法にしてしまおうという考えさえありました。


さすがにフランスの民法をそのまま持ってくるのはどうかという話になり、ドイツ民法の第一草案が参考とされ、編別などはドイツ民法の方式に倣って、令和の日本にも繋がる民法典が制定されました。


(この民法典は、総則、物権、債権、親族、相続の5編からなり、前の3編は1896年4月に、後の2編は1898年6月にそれぞれ公布され、ともに1898年7月16日から施行された。)


太田 豊太郎が1888年頃に日本に帰国し、ドイツで学んだ法学の知識を生かして日本の民法典の立ち上げに関わったとすると、


太田 豊太郎がエリスを捨てて日本に帰ってきてくれたおかげで、現代に繋がる日本の民法が制定された、とも言える。



紅子:太田 豊太郎、超超超超超エリートじゃん。成歩堂龍ノ介は?


管理人:日本の法律はフランスやドイツの法律の影響が大きいので、英国帰りは、日本の法曹界ではマイナーな存在だったかもね。


紅子:でも「女を泣かせてるんじゃねーよ!」ってタイマンでケンカしたら、成歩堂龍ノ介が圧勝しそうねえ。


管理人:ケンカは法廷で!