宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

1789千秋楽感想 暁がロナンに見えた



『1789 -バスティーユの恋人たち-』東京宝塚劇場公演大千秋楽の模様を映画館で鑑賞してまいりました。


まず、礼真琴さんにお詫びいたします。あなたの休演の理由を喉のポリープによるものと思い込み、あらぬことを書いてしまいました。映画館で響いた歌声は、声量も感情表現も豊かで素晴らしかったです。


(劇団は明らかなガセネタについては、こんな形でジェンヌの口から語らせずに、法的に対処したほうが良いと思います)



正直、宝塚大劇場での千秋楽を拝見した時は、


字をやっと読めるかどうかである農夫であるロナンが、デムーラン、ロベスピエール、ダントンといったおぼっちゃんたちと出会ってすぐ


「俺たち、仲間だよな!」


展開にどうもなじめず、


ロナンが自分に濡れ衣を着せたオランプを愛し、キスに至る心理の変化のポイントがよくわからない芝居だなあ…


など、ちょっと客観的に見ていたところがありました。




大千秋楽の配信を視聴しまして、このミュージカルのタイトルが


『ロナン・マズリエ』


でも


『ロナンとオランプ』


でも


『バスティーユの恋人たち』


でもなく、あえて


『1789 -バスティーユの恋人たち-』


であることの意味を実感しました。


この物語を日本で上演するにあたっての成功のキモは、1789年という、人類史の一大事件が起きた、まさにその時の


”熱いぜ!1789年!パッショーン”


を感じさせることができるかどうかだと思います。



奇しくも、2023年8月27日の『1789 -バスティーユの恋人たち-』大千秋楽に至る波乱万丈と、1789年7月14日、パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃するに至る波乱万丈がリンクしましたね。


舞台の上の演者の情熱と観客の祈りが起こした熱量は、2023年8月23日の甲子園球場で起きた、仙台育英(宮城)と慶応(神奈川)の決勝戦の観客席にも匹敵したのでは。



革命3兄弟のパッションの深化。これはもう「覚醒」と呼びましょう。


暁さんのデムーランは、代役でロナンを演じた経験が大きな糧になったと思います。


大劇場でのデムーランは、机上の理想を語っているぼっちゃん育ちで、ロナンの雑草魂との温度差を感じました。舞台でいつも「私は3番手路線男役です」という表情だったのですが、


今日の第2幕冒頭、客席からの登場シーンでカメラに抜かれた表情は、真ん中に立つ覚悟を引き受けた革命家の顔でした。


(史実でも、デムーランは1789年7月12日、わき立つパリのパレ・ロアイヤルで「武器をとれ」を趣旨とする演説で民衆を扇動し、14日のバスチーユ攻撃への大きなきっかけを与えた人物)


暁デムーランの存在の大きさは「もう一人のロナン」にふさわしいものでした。



極美さんのロベスピエールも、大劇場千秋楽では末っ子気質でほんわかしていて、もしも


「この青年こそ、のちにダントンやデムーランを逮捕・処刑することとなる、ロベスピエールその人である」


というナレーションがあったら「ウソだ!」とツッコミをいれたくなった記憶があります。


大千秋楽では、見違えたように腹が据わり、いい意味で怖かった。その美貌と冷厳な革命活動ゆえに「革命の大天使」または「死の天使長」との異名をとったサン・ジュストを彷彿とさせました。



舞台とは波乱万丈にみえて脚本があり、奔放な感情の爆発があるように見えて演出家の指示どおりという、筋書きのあるドラマなのですが、


時折、舞台の上で起きていること以外の事情により、筋書きのないスポーツの試合を見るように、筋書きのあるドラマを見ることがある。


これも、生の舞台を見る事、生配信を見ることでしか味わえない体験なのでしょう。