宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

男役 泣きたくなるほどりりしいもの 文豪アルケミスト坂口安吾の宝塚論より

皆様、外出自粛のStay Home いかがお過ごしでしょうか。


私はスカステの撮りっぱなし録画を見ようとしても、家族がずっと家にいるものだから、なかなか鑑賞がはかどらず・・・


ブログのネタもだんだん宝塚そのものを離れて「少女歌劇」という日本独特の魔訶不思議なるものに対する、自分の想いのルーツを探る旅のようになってきました。

自粛生活中の読書で発見した文豪の宝塚論

青空文庫(パブリックドメインとなった古典作品を集めたサイト)をあさっていて、こんな文章を見つけました。後半に文豪坂口安吾の宝塚論が出てきます。

坂口安吾 「明日は天気になれ」  より


最も健全な夢の国


 信州松代藩主に真田幸弘という殿様があった。


 家来の一人に大そう小鳥好きがいて鳥カゴに小鳥を飼って愛玩していたところ、ある日殿様に呼出され、ちょうど鳥カゴと同じようなカゴの中へ入れられてカギをかけられてしまった。


 時間が来ると誰かが水とムスビを差入れてくれる。やがて殿様が現われて


「どうだ、外へ出たいか」


「はい、出とうございます」


 と家来はポロポロと涙をこぼして答えた。


「そうだろう。出たいであろう。お前は小鳥を鳥カゴへ入れて愛玩しているそうだが、小鳥の身になってみるがよい。今のお前と同じことだ。どうだ、わかるか」


「ハイ。よく、わかりました。さっそく小鳥を放しますから、ゴカンベン下さいまし」


「それならば今回は許してつかわす」


 と放してもらったそうだ。この殿様は名君のホマレ高く、その名君の業績を臣下が録して世に残した本に『日暮硯』というのがある。この話はその本の中に名君のホマレ高い行いの一つとして述べられているものだ。


 今の世にこれを名君と思う人はある筈がない。天下のバカ殿様と思うに決まっている。


 ところが『日暮硯』という本はなかなか愛読された本で、戦争中には大衆向きの文庫本の中にまでこの本が印刷されていたものなのだ。


 ノド元すぐればで我々はもう忘れているが、戦争というものは、このような天下のバカ殿様が名君になってしまうほど怖しいものなのである。


 ところが徳川時代には、事実において、これが名君で通ったのだから、民の生活というものは陰惨で救いがたい。


立派な大身の士ですら小鳥を飼うこともできない。百姓や女子供にノビノビと自由をたのしむことなど一瞬といえどもありえようとは思われない。


 ところが、これがまた素人考えというもので、町人百姓はずっといじめられ通しでいながら、実は侍のもたなかった自分のタノシミや文化というものをいつもちゃんと持っていた。


下は盆踊から上は天下の芸術に至るまで民は殿様の鳥カゴの中に入れられながらも自分の文化を放したことはないのである。


むしろこのようにいじめられてひそかに身につけた自分だけの秘密の文化というものは自由に許されたものよりも香りが高く、独特な風格を持つにいたるのかも知れぬ。


私はそのようなものの現代版として宝塚少女歌劇を思うのである。


 女大学の風潮が現代まで残存して日本の少女をいためつけ、いびつにした産物として現われてきた奇形児の如くでもあるが、同時に、それ故にひそかに、まためざましく生育した独特な芸術でもある。


 日本の男子はこれを軽蔑してまだ見ることすらも知らないけれども、実は歌舞伎もこれに及ばず、ストリップもこれに及ばない。


 なぜなら少女自身が少女の意中の男子を表現しているからである。それは壮大で、正しくて、完全で、男が見ると泣きたくなるほどりりしいものだ。この上もなく健全な夢の世界である。そして、美しい。


ヒゲの男子は一見すべし。


底本:「坂口安吾全集 13」筑摩書房

   1999(平成11)年2月20日初版第1刷発行

底本の親本:「西日本新聞 第二四九四六号~第二五〇四六号」

   1953(昭和28)年1月2日~4月13日

初出:「西日本新聞 第二四九四六号~第二五〇四六号」

   1953(昭和28)年1月2日~4月13日

坂口安吾 明日は天気になれ←青空文庫リンク

前半は外出自粛の「Stay Home」最中に読むと、平時とはまた違った意味合いになる文章ですね。


まあ、昭和28年に発表された文章なので。そもそも安吾氏は「無頼派」と呼ばれるほど毒舌な方だったのですが(汗)


昭和のころの少女文化への偏見と宝塚

自分の宝塚ファン歴を振り返ると、20世紀の頃と、現代とでは、世間の少女マンガや宝塚的なものへの目は変わってきたと思います。


20世紀のころは、まだ「星よ、すみれよ、とリリックしたがる少女趣味の極み、男が見るものじゃない」的な偏見もあったと思う(もちろん手塚治虫さんのような方もいましたが)


真矢みきさんや天海祐希さんがTVドラマで「理想の上司」的なハンサムウーマン役でブレイクしたり、


ミュージカルへのタモリ的な「なんで芝居の途中で歌って踊るんだ」的な違和感が薄れ、フレディマーキュリーの映画をみんなで歌って鑑賞するのが流行ったり、


宝塚の立ち位置、世間の目も時代の変化とともに変わってきたなあ、と思う。

女大学とは?女性の道徳と宝塚

作中に出てくる「女大学」とは、女子大学のことではなくて、江戸時代から女子教育で教えられてきた昔の女性向けの道徳の教科書のようなもの


(一) 女子は成長して、嫁に入り、夫と親に仕えるのであるから幼少のころから過保護にしてはならない。


(二) 容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい。

・・・

↑こういう感じの価値観のこと。


戦前はお見合い結婚があたりまえで、「良家の子女が恋愛に興味を持つなんてはしたない」「恋愛はお見合い結婚してから夫とすればいいんです」という価値観でした。


10代の女の子が、恋愛へのまっとうな興味を封ぜられて、映画館へ行くのも親同伴、という青春を過ごしていた、という背景があって、「男装の麗人」という健全でキケンな魅力が咲いたのでしょう。




おまけ 坂口安吾の代表作「桜の森の満開の下」舞台版

作家の坂口安吾は戦後、太宰治と並んで「無頼派」として知られた文豪です。代表作は野田秀樹氏により舞台化された「桜の森の満開の下」



歌舞伎版「野田版 桜の森の満開の下」より

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』予告編


天海祐希が男役(オオアマ)を演じた「贋作 桜の森の満開の下」

妻夫木聡・深津絵里・天海祐希・古田新太らと共に名作が甦る!野田地図「贋作 桜の森の満開の下」が開幕


野田秀樹版は「桜の森の満開の下」に同じく安吾作「夜長姫と耳男」と宝塚であった「あかねさす紫の花」の要素も入っています。で、仏師とか謀反とか言ってる。


天海祐希さんは「オオアマ」役ね。古田新太が乙女に見える(笑)



青空文庫で無料で読めます。

近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので(略)


桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。


彼は始めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした。