宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

-異聞・天草四郎ー文豪が語るその後&おうちでタカラヅカ動画の惜しい点

皆様、Stay Homeいかがお過ごしでしょうか。


宝塚歌劇団が「期間限定 おうちでタカラヅカ」として配信している動画が、東京都のHPでも紹介されております。



おうちでタカラヅカの動画の解説がちと残念 新規を釣るチャンスなのに


【公式】<期間限定 おうちでタカラヅカ>花組 ミュージック・クリップ「まことの宝」~花組『MESSIAH −異聞・天草四郎−』より~
動画の説明文

映像×音楽のコラボで魅せる、花組公演『MESSIAH −異聞・天草四郎−』のミュージック・クリップ。

希望ある未来に向かって、過酷な運命を生き抜こうとする姿を美しい旋律にのせて描く。

今まで宝塚に全く縁が無かった方が、巣ごもり生活のつれづれに上記のサイトからたまたまこの動画に出会って、さてどう思うか。


まあタイトルから天草四郎の話だろうな、とは思うでしょうが、


・まず主役のイケメン(明日海りお)の名前がわからない(コメント欄も無いので聞けない)


・タカラヅカ・オンデマンドへの案内はあるのですが、膨大なオススメ動画の海に溺れる・・・あのイケメンが主役のものを見たいけど、宝塚メイクは見分けがつかない・・・


あーもったいない。新規ファンを釣るチャンスなのに。

宝塚歌劇では、YouTube公式チャンネルにおいて、期間限定のコンテンツを無料配信。

トップスターからのメッセージ映像のほか、「おうちでタカラヅカ」として舞台動画やミュージッククリップを多数配信中です。

今後も追加配信を順次予定しておりますのでぜひご覧ください。


劇団様、第2弾があるなら、動画の背景情報(主役の名前とか、お芝居のあらすじとか、ショーの設定とか)の解説をもっと充実させてくださいな。


宝塚って場面当たりの情報量がものすごく多いから、解説がないと初心者は自分が何を見たのかすらわからないんですよ。


(というかこのお芝居フルで期間限定公開してあげて。わりと一般の方にもとっつきやすい話でしょう)


おまけ 文豪坂口安吾氏による、原城のその後

先日の記事のために坂口安吾氏の文章を漁っていて、天草四郎に関連する文章を見つけたので紹介します。

明日は天気になれ

坂口安吾


悲劇のままの城趾


 私はたしか昭和十六年であったと思うが、天草島原の乱を調べにそのゆかりの土地を見て歩いた。そのとき、原城の跡がほぼ原型のまま畑になっているのに一驚したのであった。


 もともとこの城は天草四郎が立てこもったときにすでに廃城であった。


 新しく島原城を築くために有馬の原城をとりこわし石垣などを島原へ運んで新築の城の石垣に用いた。


 したがって、原城の方は城の建物や石垣が取り去られて、丘だけが城の姿をとどめていたのである。


 天草四郎はここへ籠って、バラックの城をつくり、失われた石垣の代りには竹矢来や木柵をめぐらした。


 幕府軍はその対面の丘に砲台を築いて攻撃した。その大砲のタマは原城までとどかなかったが、砲台は昔の図面通りに今もその姿を知ることができる。


 しかし一番おどろくべきことは城址で、建物と石垣はないが、形はそっくり往時のままといってよい。


 籠城の百姓軍が全滅したとき、城内の空壕の中に女子供が三千人隠れているのが発見され、これが棄教を肯んぜず、「喜々として」斬首された。


「喜々として」死んだことは松平伊豆の長男の日記に書かれている。こうして城内の者は、男も女も子供も全滅してしまったのである。


 このときの女子供三千名が隠れていたという空壕まで、昔のままと信ずべき姿で現存しているのである。広さは百坪ほどもあろうか。深さはかなり深い。四メートルぐらいかも知れぬ。そこへ降りて行く道はないのに、ジャガ芋畑になっていた。


 今ここを耕している人たちは、ここで戦死した人たちの子孫ではないのである。


 このへんの農民はみんな原城にこもって老若男女ともに全滅してしまったから、一揆に参加しなかった二、三の村をのぞいて南高来郡は全く無人の村となり、累々たる白骨だけが天日にさらされていたのである。


 その状態で十年すぎ、十年目に他国から農民を移住させて、新しく村をひらき、耕作をはじめたのだ。


(略)


島原の乱の時に、島民をアジって一揆に走らせた黒幕の策師たちは、追放のバテレン(神父)ママコスの予言というのを用いた。


五五〇年、日域に神童現れ、習わざるに諸学に通じている。そのとき海に山に白旗なびき、神の世となるであろう云々、というような予言だ。


 追放のバテレン・ママコスという名は、実際の追放バテレンに該当する名が見当らないが、当時外国人や外国語に全く無縁無智の日本人が、いかにもそれらしいママコスなぞという名をデタラメに発明できようとは思われないから、何かの根拠はある名だろう。


 日域に神童現れとは、実在の神童天草四郎に附会したもの。山に海に白旗なびき、の海の方は当時続々来朝しはじめて、やがて通商を国禁されたマニラやマカオ等からの救援の外国船を指すのであろう。

※うどん県には、香川県小豆島の住人が島原に移住した、という石碑があります。




【原城跡】世界遺産登録活動の資料動画より