宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

トート閣下と危うく踊りかけて、相談して救われた話

※今回の記事は、宝塚とは関係ない、超個人的な体験「トート閣下と危うく踊りかけて(婉曲表現)、相談制度のおかげで、今のんきにブログを書いていること」についての記事です。







心が「あれ?」になった時「一人で悩まず、まず相談」するのは勇気がいる


皆様、お元気でしょうか。


私はおかげさまで、日々仕事に子育てに、「タイトルに宝塚とあるけれど、内容の8割宝塚と直接関係なくね?」なブログ書きに、と


わあわあ言いながら、気ままな日々を過ごしております。(これから仕事が繁忙期に突入するので、記事更新の頻度が落ちるかもしれません)


ところで、7月ごろから、ブログ内に三浦春馬くんの名前がチラチラ出ているのですが・・・


7月18日、ちょうど宝塚配信事業第1弾となった、はいからさんが通るの舞台中継を楽しんで、PCの画面を閉じたところで、彼についての報道に触れました。


そして、この日曜日の朝、亡き父の法事の最中に竹内結子さんの件を知り、読経を聴きながら彼女のことを考えておりました。


最近、竹内結子さんのことを伝える報道で、末尾にこういったサイトや電話番号の紹介があることに気づきました。



三浦春馬くんの報道時には、あまり目にしなかったのですが、これは厚生労働省からマスコミ各社に、報道の際に留意すべき事項について、要請があった為のようです。


「一人で悩まず、まず相談」ほんとうに、今だから言えますが、私、この制度のおかげで救われたことがあります。



もしも、こんな私の体験談でも、何か人様の参考になることがあれば、との思いで、


こころが「あれ?」な時に、どこに、どうやって、何を相談したのかについての記事です。




こころの悩み相談制度に救われた経験

実は私、もう何年も前のことですが、出産後のホルモンバランスの急激な変化、慣れない育児のストレス、仕事に復帰できるのだろうかという不安に加え、父の末期がん宣告、贔屓の退団発表まで重なり


人生いいことはめったに無いのに、しんどいことは「せーの」でまとめてやってくるものだから、自身では気づかないうちに「キャパを超えた」のでしょうねえ。心身に不調をきたしたことがあります。

悩み相談制度は悩んでいる本人以外でも利用できる

実は、自分自身で悩み相談ダイヤルに電話したわけではありません。


普段と違う様子の妻を心配した配偶者が、私の代わりにまず悩み相談制度を利用し、おかげで早期に医療制度に繋がることができ、数か月ですっかり元気になりました。


勇気を出して電話しても、繋がらないこともあるかもしれません。


厚生労働省のサイトには、電話相談だけでなく、LINEなどのSNSやチャットで悩みの相談ができる制度も紹介されています。


何を相談したいのか、自分でもよくわからない、でもつらい、という時には、とにかくSNS相談の時間帯を予約して、それから


「えっと、何を相談しよう」とゆっくり考えても大丈夫です。


何でもない元気なときに情報収集

厚生労働省が紹介している相談制度について、普段の何でもない元気な時に、一度チェックして「へえ、こんな制度があるんだ」と知識として知っておくだけでも、自分だけでなく身近な人が「あれ?」の時に、心強いです。


(本当に元気がなくなると、知らないことをいちから検索するのも、おっくうになったりします)


ギリギリになって耐えられなくなったら医療を頼ろう、と思わなくてもいい

「まだ耐えられる。医療の力を借りるのは、ギリギリまで我慢しよう」とつらいのを我慢することもないかな、と思います。


自分ではまだ2割くらい余力がある、と思っていたら、実はそこがリミットかもしれません。


人の心は、抽象的なことだけでなく、神経伝達物質やホルモンなど、即物的なことで影響されるんだなあ、というのが自身の体験による感想です。



自分でも何が悩みなのかわからなくなってくるつらさ

地方在住なので、地域の保健所の保健師さんが相談に乗ってくださることになったのですが、


当時の私は「自分はメンタル不調ではない」と認めたがらず、「知らない人に、電話で一から自分の気持ちを説明するなんてできない」と逡巡しておりました。


そうしたら、「気が向いたら、メールで相談でも結構ですから」ということになり、とりあえず息子が寝ているうちに、「何を相談すればよいのだ」とつらつら文字に書きおこしていたら、


「ああ、自分はこんなことに悩んでいたのか」


という気づきがあって、それだけですこし楽になりました。嵐の渦の中にいると、何に悩んでいるのか、わからないのがつらい。つらいのがつらい。


「話す」ことは「離す」こと

著名人のことについて、マスコミがいろいろな事後分析をしておりますが・・・


「私はこのようなことに悩んでいるので、トート閣下と踊ります」などと、理路整然と言葉にできるようなら、ヴェートーベンatハイリゲンシュタットのように、その手紙を書いた後も生きられるのでは、と思うことがあります。


「話す」は「離す」「放す」に繋がる、と言うそうですが、自分の気持ちって一番身近なようで、人に話して聞いてもらうか、文字にするか、一度自分から解放しないと見えないことってあるんだなあ、と思いました。


もちろん医療や法律、行政の力で解決する問題もあります。相談によって、適切な窓口に繋がるためのヒントがもらえることもあります。


つらつらと、失礼いたしました。これはあくまで個人的な体験なので、もしも「あれ?」という時には、専門家を頼ってください。心も体も同じ自分。腰痛で整形外科に行くのと同じですから。