ピガール感想②おもろうてやがて哀しき”魔法が解ける”寂しさ
「タベール カプリチョコ」420円(税込み)
おお、「狂騒曲(カプリッチョ)」と「カプリチョコ」を掛けているのね!
カプリッチョ【(イタリア)capriccio】
《気まぐれの意》形式にとらわれない、快活で諧謔(かいぎゃく)的な楽曲。狂想曲。奇想曲。カプリッチオ。
「気まぐれ」の意、ね。
あれ、劇場の改札横にある英文のチラシの表記、
えーっと、Musical "A Farce in Pigalle"?
capriccioでなくて?
farce
茶番狂言、笑劇、道化芝居、こっけい、人笑わせ、道化、ばからしいまねごと、「芝居」
これは狂騒曲でも、fffの「喜ぶ劇」のコメディでもないんだ。
男役が男装役を演じる、実はシェイクスピア劇上演史でもレアなピガール狂騒曲
世界のシェイクスピア上演では、珠城さん演じるヴィクトールの元ネタ”ヴァイオラ”は、たいてい”女優”さんが演じていて、その女優さんは普段男役の訓練をしていません。
観客は”ヴァイオラ”が女性であることを知っていて、劇中の登場人物がみんな”ヴァイオラ”を男(シザーリオ)と思って疑わないことで巻き起こる狂騒曲を面白がっているわけですが。
今回の宝塚での上演は、「普段男性役を女性が演じる劇団の「男役」が、「男性に扮する女性」役を演じたらどうなるか」という意味で、世界のシェイクスピア劇上演史でもレアな試みということで、シェイクスピア研究者の方にも注目されているしいです。
シェイクスピア研究家の北村紗衣氏のブログに、本公演の感想がありました。北村氏は大学教員、著書の出版など公の活動をされている方です。ブログを一部引用させていただきます。
シェイクスピアの作品を簡潔に楽しくまとめた喜歌劇である。ジャンヌが男装するジャックはさすがに男役スターの珠城りょうが演じているだけあって、大変颯爽とした美青年に見える。
全体的に相当設定を変更しているわりには原作『十二夜』に忠実で、原作にもある史上最弱の決闘のくだりまでちゃんと生かしているし、宝塚の男役が演じていると考えると、最後にジャンヌが女の姿に戻らないという結末もよく似合っているように思われる
(原作ではおそらく役者の年齢とか衣装の関係で、ヴァイオラが女の衣装に戻らず終わる)。
北村氏は演劇研究家ですが、宝塚についての専門家というわけではない方ですので、
珠城りょうさん演ずるヴィクトールは、普段本職の女優さんが演じるヴァイオラに比べたら颯爽とした美青年に見える。そりゃあそうだ。
でこの劇を見ていて不思議なのは、宝塚って基本的に、出演者の半数はそもそも男装した女性なんですよね。
でも観客は脳内にマジックをかけて月城さん演じるシャルルとか、鳳月さん演じるウィリーは脳内で紛れもない「男」として見ていて、
珠城りょうさん演ずるヴィクトールについては「男装した女性」として見ることになる。
珠城さん、そこが上手いなあ、と思いました。例えばジャンヌとして歩く時の脚。歩くとき、男役の歩き方を解いて歩いているんですよ。
そして珠城さんは、ヴィクトール役では紛れもなく「男役スター」として出てくる
おもろうて やがて哀しき 異性装
考えてみると、このピガールというお芝居、人が他人を演じるということについてのメタ的構造をしてるんですよねえ。
シェイクスピア時代、このお芝居で珠城さん演じるヴィクトールの元ネタ”ヴァイオラ”は、少年俳優が女性役を演じて上演されたそうです。
シェイクスピアにはお気に入りの少年俳優がいたそうで、劇作家生活の前半は、おそらくその少年俳優にあてがきで、闊達なヒロインが活躍する数々の喜劇を書きました。
が、「十二夜」を最後に、快活でゴキゲンな喜劇をふっつり書かなくなります。
真の理由はわかりませんが、1説にはお気に入りの女方の少年が大人になり、もうヒロインを演じられなくなってしまったからでは?とも言われています。
「十二夜」の上演演出ではラスト、ヴァイオラがドレス👗を着て
「私、実は女でした!」
「おお、これで万事めでたし!」
という演出も多いですが、北村氏によるとシェイクスピア時代の初演では宝塚版と同じく、ズボン姿のまま幕が下りたそうで。
それを知ると、今回のピガール狂騒曲を拝見した時に思った、ラストのめでたし、めでたしの中にある言いようのない寂しさの理由が少し見えたような。
観客はジャック/ヴィクトールの演じ分けに、宝塚男役マジックが解ける瞬間、「マジックの種明かし」を見てしまう。
魔法が解けるさみしさ
コロナ禍で、退団発表から退団まで1年半も間が空くことになり、普段とは感覚がちょっと違っているのですが、
奇しくも宝塚人生のカウントダウンに入った男役が、「十二夜」のヒロインを演じることの感慨は、
400年以上前のロンドンで、シェイクスピアの「十二夜」初演を見た観客が、
「あ、この少年俳優は、もうすぐ少女役は卒業するんだな」
と思って抱いた感慨と通じるものがあるのかもしれません。