アナスタシア感想②嘘つきディミトリの真っ赤な真実
※今回のアナスタシア 宝塚大劇場千秋楽配信感想 はネタバレしております。
記事のタイトルは米原万理さんの著書のタイトルを借用させていただきました。
- 嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
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「She Walks In」(彼女が来たら)に凝縮された主題
She Walks In (彼女が来たら)
全てが動き始める
彼女がここへ来たなら
パレードの馬車の上 恐れも無く
微笑み浮かべているような 彼女
俺は必ず見つけてやる
誰が笑おうと それが俺だ
「アナスタシア」って劇の構造がパズルのように、緻密に計算されたお話だなあ、と思います。
小池修一郎氏がウイーン版「エリザベート」に新たに「愛と死の輪舞」という主題歌を追加し、歌詞に宝塚版の演出意図を込めたように、
「アナスタシア」宝塚版のために書き下ろされた「She Walks In」(彼女が来たら)に、稲葉先生の宝塚オリジナルの演出意図が凝縮されている。
”全てが動き始める 彼女がここへ来たなら”
には、真風氏がお披露目公演「West Side Story」で演じたトニーが、まだ見ぬ恋の予感を歌う「Something's Coming(何かが起こりそう)」に呼応していると思いますし、
”パレードの馬車の上 恐れも無く 微笑み浮かべているような 彼女”
馬車の車輪、進行するパレード、その上でほほ笑むアナスタシアと、見上げるディミトリの視線は、以前アナスタシアの観劇第一印象で記した「円環と垂直と水平」のイメージに繋がる。
では、
俺は必ず見つけてやる 誰が笑おうと それが俺だ
ディミトリは誰が笑おうと、何を必ず見つけだそうとしているのだろう?
ディミトリが無くした「何か」
このお話は
ディミトリは、パンフレットの解説では
「ロシア革命の混乱の中を悪事に手を染めながらも懸命に生きてきた青年。泥棒のプリンス」
泥棒のプリンスであり、
記憶喪失のアーニャを「偽物のアナスタシア」に仕立て上げて、一攫千金を狙う詐欺師
その夢(でも悪事だよな)を実現するためなら、サンクトペテル中の財布をかっぱらって、お札を抜くことを厭わない男なのである。
ディミトリは混乱した時代に孤児として生き延びるため、犯罪に手を染めてきたのだけれど、財布をかっぱらわれた側の気持ちについて、ダニーオーシャン並みに良心の呵責が欠如、というか摩耗しているよな・・・
そこに、アーニャが出国許可証を手に入れる足しにするために、橋の下で寝起きして、掃除の仕事のシフトを増やして貯めたしわくちゃの紙幣を持ってくる。
ディミトリは、そのしわくちゃな紙幣を受け取れず、「いや、もうこんなこと止めよう」と言い出す。
人生最大の嘘のために利用してやろうとしていた小娘に、「何か」を教えられて
わたしに なくなった何かが ある
たしかにあったのに いまはない何かが ある
それとも なくなっていないのか
あるのに ないとおもうのか
おもうから
なくなっているのか
何かは
(谷川俊太郎「何か」より(一部抜粋))
忠実な良心のもとに
自身が仕組んだはずの、ウソの大芝居。
ウソ皇女だったはずのアーニャが、どんどんホンモノになっていくにつれ、
「縛るものは何もない 俺は俺のもの」と男性版「私だけに」をモットーに生きてきたディミトリは、ウソにまみれた自分の人生は、ホンモノだったのかと揺らぎ始める。
グレブは言う「ここは忠実な良心を持つロシア人がいるべき場所では無い」
ディミトリの忠実な良心とは?
報奨金さえ手に入れば、アーニャがニセモノだろうと、万が一ホンモノだろうと、知ったこっちゃなかったはずなのに。
”パレードの馬車の上 恐れも無く 微笑み浮かべているような 彼女”
ロシア絵画といえばクラムスコイの「見知らぬ女」またの名を「忘れえぬ女」
"空を覆う雲が 消え去り 晴れて 光るように”
それは光ふる道を行く、善なるもの、美しきもののイデア。ディミトリにかつてあったはずの、無くしてしまった片割れ。
今、無くした片割れを見つけた。
でも、自分は地上で汚れちまった哀しい存在。地上にあって穢れを知らぬ、この美しい片割れを、自分が汚してはならない。
美しきイデアは、あるべき天上に返さねば。
報奨金なんていらない。
アーニャがホンモノのアナスタシア皇女で、家族と再会して笑顔であれば。
・・・ねえ、それ、100%の本音?
いっそ、アーニャが、アナスタシアでなくてもいいのに、とは思わない?
ぼくはきっとうそをつくだろう
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとのことがある
(「うそ」より(一部抜粋))