宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

千葉雄大の歌はなぜ”刺さらない?”『ポーの一族』雑感



明日海りおの背中が大きく見えた瞬間

先日、梅田芸術劇場版『ポーの一族』ライブ配信を鑑賞いたしました。


ただいま、ポエムな感想編を書いているところなのですが、個人的に一番印象的だったのは、


”明日海さんの華奢さが、気にならなかった(笑)


いや、宝塚版よりも梅田劇術劇場版のほうが、男性キャストの身長は当然高いのですが、(アラン役の千葉雄大くんも173㎝)


明日海さんの「人ならぬもの」としての存在が自然すぎて、人の世にある人外の少年としての馴染みぶりがリアル(伝われ!)


一番印象的だったのは、ラスト、1950年代のハイスクールに時をかける転校生としてやってきたエドガーが、アランを時の向こうへエスコートする時の背中。


宝塚時代は正直、後ろ姿に「背中が華奢だなあ」と思っていたのですが、


一歩一歩、時の彼方の深淵に歩みを進めるたびに、ぐんぐんと身長が伸びていくような錯覚を覚えるほど、


「大人の男の背中」を感じました。


千葉雄大の歌に足りない「何か」


・・・まあ、私の贔屓は、歴代歌がアレですけれど・・・柚香さんアラン(ごほごほ)


千葉君はTV畑の人で、ミュージカル初挑戦ですから、これまでミュージカル俳優のように本格的にボイストレーニングをしてきたわけでもないでしょうし、十分頑張っていると思います。


彼の歌、決して「下手」ではないんですよ。


音を外すとか、悪声というわけでもない。


ただなあ・・・手に汗握って、爪が手のひらに刺さるほど、ひどくもないんだけど、


心に『刺さらない』・・・


他のミュージカル畑の方の歌唱に比べると、なんというか解像度が低いというか・・・


千葉雄大君の歌唱に『絵』がまだ見えない


音楽ジャンルもいろいろで、最近は人があえてボーカロイドっぽく歌う歌唱も人気ですが、ミュージカル歌唱ってまた独特ですよね。


音程とか、テンポとか、ピッチとか、基本スキルは当然として、


千葉くんの歌を聴きながら、ミュージカル歌唱に求められるものって何だろうと考えていたのですが、


歌唱に「絵」が見えるかどうか、かな。



「語るより、絵を描け」(Show, don’t tell)。アメリカの子どもたちが徹底的にたたき込まれる法則です。


この法則は、例えば「歩く」という言葉を使いたくなったら、「歩く」ではなく「右足を引きずる」「うれしそうにスキップする」という表現にしましょう、あるいは「話す」なら「まるで政治家の辻立ちのように叫ぶ」「お経を読むように、低く深い声で話す」という表現を使いましょう、という意味です。


つまり、「情景が浮かぶように表現しなさい」ということです。


漢詩の世界でも、描写のコツは「詩中に画あり、画中に詩あり」と言い伝えられておりますが、




特別映像「One Heart PROJECT」



柚香さんの歌唱って、ショーの時はハラハラするんですけど、歌詞に芝居っけのある歌だと、なぜか絵が浮かぶんです。


「One Heart」で3:50あたりからの


ひとつの 心に 熱い血が 流れて♪


私はこのフレーズを聴いたとたん、なぜか戦場で死期を悟った兵士が、恋人に向けて最期のメッセージを遺している光景が見えたんですよ。


芸能人に限らず、一般人でもプレゼンやスピーチの時、上手い下手とはまた別に、


脳内に絵が浮かんで、それを見ながら話せる人と、そうでない人がいるらしいのですが、


千葉君はまだ、絵が描けていない気がする。