宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

いきなりラストシーン?有沙、瞳を開けて”マノン”ポスター

※原作に基づくネタバレがあります。


このポスターのシーンは、バレエ版だとおそらくこのシーンだな。


ポスターはおそらく、原作におけるマノンとデ・グリューの逃亡先アメリカ、ルイジアナの寒々とした沼地での悲劇的なラストシーン。




Manon – Act III pas de deux (Sarah Lamb, Vadim Muntagirov; The Royal Ballet)




「マノン」(ケネス・マクミラン振付/サラ・ラム/ワディム・ムンタギロフ/ロイヤル・バレエ団)【高画質】【バレエDVD/Blu-ray「マノン」トレイラー】


1974年英国ロイヤル・バレエにおいて、アヴェ・プレヴォーの長編小説「マノン・レスコー」を原作とし、当時の芸術監督ケネス・マクミランによって創作・振付されたのがバレエ「マノン」。


一人の美少女マノンを取り巻く愛と嫉妬の渦を描いており、誰一人として幸せにならない破滅的な物語ながらも、劇的な展開とアクロバティックな振付で多くのバレエ・ファンを魅了しています。



アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」をもとに、物語の舞台を19世紀スペインに移してミュージカル化した『マノン』。2001年に花組の瀬奈じゅん主演で上演し、好評を博した作品を20年振りに再演致します。


セビリヤの名門貴族の青年ロドリゴは、情熱的で自由奔放なマノンと恋に堕ち、約束された将来を捨て駆け落ちする。しかし、享楽的な生活を求めるマノンは、お金の為に平然とロドリゴを裏切るような真似をするのだった。


それでも一途にマノンを愛し続けるロドリゴは、彼女の為に罪を犯し、破滅への道を突き進んで行く…。   


「マノン」は作者の実話?

こんな、悲劇的で誰一人幸せにならない物語を書いたのは、なんと、聖職者の司祭様。


元のタイトルは『シュバリエ・デ・グリューとマノン・レスコーの実話』La véritable histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut。


『隠棲(いんせい)したある貴人の回想録』(1728~31)と題された作品集の第七巻として発表されました。



フランスの小説家。通称アベ・プレボーAbbé Prévost。北フランスのエダンの名家に生まれ,イエズス会の学院で学んだ後,軍務と聖職の間をゆれ動いたが,結局聖職者の道を選び,ノルマンディー地方のベネディクト会の諸修道院をめぐった。1728年文才を買われてパリに呼ばれ,《フランス教会史》の編集に加わる。

「マノン・レスコー」を書いたのは、作者プレボー35歳の時。プレボーの人生の前半は謎が多く、このお話が実話かどうかは不明なのですが、


なんと、隠棲(いんせい)した貴人のはずのプレボーは「マノン」出版直後に、 エレーヌ・エックハルト、 通称 レンキ という 〝 愛人 たち の 財産 を 次々 に 蕩尽 し た 女〟 として 悪名 を とどろかせ た 娼婦 に出会い、


破産、
レンキと逃亡、
「マノン・レスコー」発禁処分、
しまいにゃ為替手形偽造で捕まる、


※フランス革命前のお話ですよ。




と、自分が書いた小説そのまんまの展開を、身をもって体現するというパンクな司祭様であったそうです。(レンキは結局別の男と結婚したそうです)


そんなロックンロールな司祭様による、自作解説を引用させていただきます。

私 が 描こ う と する のは、 恋 に 自分 を 見失っ た 若者 が、 幸福 に なる こと を 拒み、 最悪 の 不幸 の うち に 自ら 飛び込ん で いく 姿 で ある。


 彼 は あれ ほどの 素質 に 恵まれ て い た の だ から この うえ なく 徳 高い 人間 に なれ た はず なのに、 運命 と 生まれ の もたらす どんな 特権 よりも、 惨め な 放浪 生活 を 進ん で 選ぶ の だ。


 自分 の 不幸 を 予想 し ながら それ を 避けよ う と せ ず、 不幸 を 実感 し、 不幸 に 打ち ひしが れ ながら、周囲 から 絶えず さしのべ られる 救い の 手、 すぐ にでも 不幸 を 終わら せ て くれる 助け に すがろ う と し ない。


プレヴォ. マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)


『シュバリエ・デ・グリューとマノン・レスコーの実話』が実話か嘘かはわかりませんが、デ・グリューは作者プレボーの分身であることに嘘は無くて、


その切実さが300年たってもバレエに、オペラに、宝塚にと演じ続けられる生命力の根源なのかなあ。