宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

ホテルスヴィッツラハウス「芸術最高!」への違和感



・・・



紅子:あのさ、こんちゃんさん、普段このブログで何書いてる?


管理人:宝塚サイコー!芸術サイコー!


紅子:じゃあ何よこのタイトル。


管理人:「ホテルスヴィッツラハウス」を見る前はさ、ニジンスキーの人生について調べたりして、「芸術は大切!」って思っていたんだけどさ。



いざライビュで観劇するとさー。舞台の登場人物が、何度も何度も「芸術最高!!」って繰り返していて、


なぜかふと違和感・・・というか、自分の古傷が痛んだ。


紅子:はあ?


管理人:この物語の登場人物は、大戦中にスイスの高級ホテルに滞在して、バレエ公演を上演する&見ることができるような社会階層の方ばかりなのよ。


もちろん、登場人物はそれぞれつらい人生を抱えているのだけどさ、子供の頃から親とバレエの公演を見に行って、習い事のレッスンに励んで、夏は避暑地のホテルで過ごして。



話それるけど、年末にNHKの「100分de名著 萩尾望都」を録画しようとしたら、間違えて「100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン」という番組が録画されていてさ。


とりあえず見て見たら、自分にとって痛すぎる内容で・・・


紅子:なんて書いてあったのよ?


管理人結局人は、自分が育った家庭の文化資本から逃れられない、という話。


子どものころから都市部に住んでいて、親と宝塚とか、クラシックコンサートとか、美術館に行く習慣がある人は、


文化を「お勉強」と思わず、空気のように自然に身に着けて、快楽として余裕をもって楽しめる。


で、幼少時にそういう家庭習慣が無く、後天的に文化を「お勉強」することになった人は、


泥臭く、禁欲的な態度で文化に接して、あるがままに楽しめず、屁理屈をこねまわしがち


紅子:うわっ きっつー


管理人:自分のブログのネタがこんな調子なのも、自分の文化コンプレックスの裏返しなんじゃないか、と思ったの。


植田恵子先生があんまり「芸術最高!!」と繰り返すからさ、だんだん


「こんな高尚な芸術を理解できるワタクシ」


から


「あなた、この優れた芸術がわからないの?感性に乏しいのね」


と言われているように思えてさ。




紅子:あんたもめんどくさいやつね。そもそも「感性」っつーのは




また,感性は「き(生)の芸術」ともいわれる。これは,感性が学習を経ない生得的な能力であることを含意している。しかし一方で,時代や流行による美意識の変化など,感性は文化や社会の影響を強く受ける側面があることも指摘され,また,感性は学習によって「磨かれる」とする説もある。



紅子:「感性」そのものは、生まれながらの「生得的な能力」だってよ。


管理人:都会人とか地方民とか関係なく、感性は「体質」なのね!



・・・じゃあ、宝塚も、1度見てやたらハマる人と、そうでない人がいるけど、


宝塚に感動する感性も、日本人のごく一部に発現する「体質」?



紅子:かもね。そういう特異体質の方のおかげで、ガラコン配信36,000件、ライビュ動員6,000人!


客席でお迎えできなかったけれど、ファンのみんな、ありがとー!