宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

「アウグストゥス」感想田渕先生”祈りの声震わせ”ばっかりで意味わからん問題


田渕先生、立花隆さんを見習ってくれ

いつもながら雑談から始まりますが、先日亡くなった立花隆さんには本当にお世話になりました。


彼の功績については「田中角栄の研究」が第一にあげられるのでしょうが、管理人的には立花さんは昭和の池上彰さん的な存在で、


日本人がノーベル賞を受賞した!というニュースがあれば、TVのニュースでその業績がどれほどすごいのかを一般人向けに5分で説明できるし、


後日その教授と対談する機会があれば、最先端の論文を読み込んで、専門家から大衆にもわかるような話し言葉で知見を引き出してくれる方でした。


当時の最先端のトピックスを、一般向けにわかりやすくかみ砕いて説明する著作(「サイエンス・ナウ」など)のおかげで、数学で赤点を連発していた管理人ですが、理科はわりと好きな科目でした。


本当にありがとうございました。




また、印象に残っている話として、ノーベル医学・生理学賞を受賞した利根川進さんへの取材の際のエピソードをあげ「立花さんは最初、利根川さんの研究については、まるで何も知らなかったが、高校の生物の教科書から読み始め、最後は英語の論文を読みこなすまで、膨大な時間をかけて勉強していった」と話しました。


そのうえで「最先端の研究について、彼の頭で理解して、それを一般の人たちまでわかるようなことばにして送り届けてくれる。彼の書いたものは、われわれにとって宝物であり、非常にありがたいものでした」と話していました。



田渕先生、「祈りの声を震わせ」ばかりではわかりません。



宙組公演『白鷺(しらさぎ)の城(しろ)』『異人たちのルネサンス』初日舞台映像(ロング)



田淵先生、「異人たちのルネサンス」でも客席に安らかな眠りを…


この作品は、キリスト教の「原罪」思想によって「お前の美しさは罪だ」という呪いを植え付けられたヒロインの魂を解放する翼についての話なのかなあ、と思うのですが…


この作品をキリスト教徒が人口の多数を占める国で上演するならわかるんですが、日本で普段から「原罪から解放されたい!」と思っていて、ヒロインに「わかるぅ」な方がどれだけいるか。



「アウグストゥス」ねえ、普段から「イスラムから見た世界史」みたいな書籍を読んでいるような方には、幼い頃から帝王学を受けて育った御曹司でも、一兵卒から成りあがったわけでもない、いきなり歴史の表舞台に引きずり出された18歳が、なぜ立派な初代皇帝になるための帝王学を身につけたのか、という謎についての「歴史ifストーリー」として楽しめると思います。


が、


古代ローマって高校の歴史の授業で習ったきりで、あまり覚えていないが「あえて予習せず観劇する派」には、


柚香さんの役名が「アウグストゥス」かと思っていたら、劇中ずっと「オクタヴィアヌス」と呼ばれているし、最後は「これからは「尊厳ある者」と名乗る」と言い出して、急に尊厳って?自分で名乗るんかい!独裁宣言?と思われたら主題が伝わらないし、



「事前に予習する派」にはカエサル暗殺やアントニーとクレオパトラの死のいきさつが、史実ともシェイクスピア劇とも微妙に違っていて、フィクションとしてあえて変える必要性があればわかるんですが、変えた意味はあったのか?いらん「あれ?」が頭に飛び交うし…そこは史実準拠でよくないか?


舞台の上のオクタヴィアヌスに、ストーリーを推進させる要素が乏しくて、基本ずっと「巻き込まれてあたふたする」構図なのが難しいのですよねえ・・・


オクタヴィアヌスは戦場でなくベッドの上で死んで、最期の日、友人に「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか」と尋ね、「この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を」との喜劇の口上を付け加えたといわれている。


冒頭でオクタヴィアヌスとマエケナス(聖乃)がお芝居について会話するシーンがあって、お、と思ったのですがそれっきりだったですよね?


マエケナスをもっと膨らませて語り部にするとか、「死の間際のアウグストゥスの脳裏をよぎる走馬灯」的な枠をつくるとかしたほうが、一見のお客にも伝わりやすかったのでは?


「わかりやすく説明する」って、大事ですよ。作者の想いはわからないでもないだけに、つくづく田渕作品は「惜しい」。


最後に追悼として、アウグストゥスが築いた帝政ローマはなぜ滅びたのか?についての、立花隆さんの簡潔にして知見に富んだ、現代世界にも通じる箴言をば。





現象的には、ローマ帝国は蛮族(ゲルマン)の侵入によって滅亡したかに見える。しかし、ここにヒエロニムスが記しているように、「敵の剣より内乱によって」「剣より飢えによって」、


つまり、外部の破壊作用よりは、組織のインティグレイション解体によって、あるいはシステム不全によって、内部から崩れ去っていったのである。


ローマ帝国は権力、富、快楽に対するあくなき追及をよしとすることの上に建てられた帝国であった。それが成長期にはローマの活力源になり、対外発展の原動力になっていた。


しかし衰退期にはその同じものが、社会を解体させ、帝国を崩壊に導いたのである。