宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『刀剣乱舞』綺伝 いくさ世の徒花 感想

注 本記事には『刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花』ネタバレがあります。





先日、七海ひろきさんが細川ガラシャを演じる舞台『刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花』 の配信を視聴いたしました。


感想を書こうとしたら、次回作の発表があって、七海ひろきさんと彩凪翔さんが「刀剣男子」


つまり、退団後外部で男役!




歌仙兼定役を七海ひろき、大俱利伽羅役を彩凪翔が務める、舞台『刀剣乱舞』禺伝 矛盾源氏物語が2023年2月に上演される。


また、荒牧慶彦が出演する舞台『刀剣乱舞』山姥切国広 単独行 -日本刀史-が2023年10月~11月に上演される。


私は基本、芸能界でTVドラマに出たりミュージカルに出たいのであれば、男役を捨てて、さっさと「役柄上の女性」になるべきだと思います。



「ポーの一族」「るろうに剣心」の例もありましたが、あれは宝塚でいちど演じている役柄ですし、なにより外部でも演出が小池修一郎先生。


うーむ。「刀剣男子」は、スタッフに宝塚と接点はありませんし、


どっちかというと「現代版 剣劇芝居」の趣があって、2時間半の芝居中1時間くらいを占めるド迫力殺陣シーンがウリですからねえ。


元男役さんがリアル男性俳優に交じって「男役」、しかも激しい殺陣をするとなると・・・



まあ、シェイクスピア演劇の演出とかでは、男性の役も女性が演じることがありますし、



10代、20代からTVで名を売った芸能人でも、30歳を過ぎたら、立ち位置は変わってくる。そこに世間的にはほぼ無名なタカラジェンヌが進出しても、イス取りは熾烈を極める。


TVドラマやミュージカルに、2.5次元の舞台で経験を積んだ俳優さんが進出する時代ですし。


TVドラマとかアメリカンなミュージカルではなく、ゲームやマンガの2.5次元化舞台という相当に虚構度が高い舞台で、女性が男性役を演じて受け入れられれば、


退団後に男役芸の需要が無いと嘆いてばかりいずに、新たに需要、マーケットを創出しちゃえ、という考えもあるかもしれないですね。


七海さん、彩凪さん、オファーがあったからには、刀剣ファンを魅惑する刀剣男子になってください!





【公演ダイジェスト】舞台『刀剣乱舞』綺伝 いくさ世の徒花




刀剣乱舞って?


刀剣乱舞とは、歴史上武将たちの手をわたり伝えられてきた”刀剣”を擬人化したキャラ「刀剣男子」を育成するゲームです。


ストーリーの基本は、いわゆる時空警察系で


「もしも本能寺の変が起こらない世界だったら」などと歴史を改変しようとする勢力と、歴史改変を阻止しようとする刀剣男子が戦う構造です。



『刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花』では、七海ひろきさん演じる細川ガラシャが、熊本にキリシタン大名が集い、神の国をつくった世界線に歴史を改変し、


刀剣男子たちが歴史改変阻止のため戦う話です。


細川ガラシャの「死に直し」




ほそかわ‐ガラシャ【細川ガラシャ】


安土桃山時代の女性。明智光秀の娘。細川忠興の妻。


熱心なキリスト教徒で、ガラシャは洗礼名。忠興に嫁したが、光秀が本能寺で信長を殺害したため一時幽閉される。


のち秀吉・家康のはからいで復縁。


関ケ原の戦いのとき人質として大坂城に入ることを拒み、石田三成に邸を囲まれ自刃した。永祿六~慶長五年(一五六三‐一六〇〇)


細川ガラシャ(本名は玉)は明智光秀の娘で、細川忠興の妻となりましたが、父親が本能寺の変で信長を殺したため、反逆人の娘として丹後に幽閉されました。


やがて忠興の元に戻ることを許されたが、そこで忠興が高山右近から聞いてきたキリシタンの教えに心をひかれます。


1587年(天正15)、忠興が九州征伐に従軍のため不在の間に大坂の教会を訪れ、また侍女を通じて教理を学び続け、洗礼を受けガラシャの名を得ました。


1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにおいて夫忠興は徳川方についたので、ガラシャは豊臣(とよとみ)方より人質として大坂入城を強要されましたが、拒否。


大坂の細川邸において石田勢に囲まれ、キリシタンは自殺を禁止されているため、家臣の手で自らを殺させました。


忠興はガラシャの死を悲しみ、慶長6年(1601年)キリシタン弾圧の時代の中、ガラシャの教会葬を依頼して、葬儀にも参列したと伝えられています。


「散りぬべき  時知りてこそ  世の中の  花も花なれ  人も人なれ 」


(ガラシア辞世の句)


反逆者の娘となった妻を、離縁ではなく幽閉したのち復縁したり、ガラシャに高山右近から聞いたカトリックの話を伝えたり、


細川忠興とガラシャの関係がどのようなものであったのは、定かではないそうです。


『刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花』では、ガラシャは


「人は私を花という。いいえ、私は蛇よ」という。


細川忠興とガラシャの関係は、蛇と蛇が咬合し血を流しながら愛し合うような、傷つけながら求め合う壮絶なものとして描かれていました。



本作では、ガラシャの目的は「キリシタン勢力で日本制服を目指す」とか「夫に復讐してやる!」といった類のものではなさそうですね。


「生まれ変わって生き直す」というよりは「ちゃんと死に直す」。突き詰めるとガラシャは忠興に殺してもらえなかったことが未練だったような描写でした。


ガラシャは前半では、史実に近い十字架をかけた武家の妻然とした衣装ですが、後半はオスカルのような真っ白い西洋風な戦闘服に身を包み、刀剣男子たちと戦います。



史実のガラシャは本能寺の変とか、関ケ原の合戦とか、日本の歴史の流れを決定づけた大事件によって人生を翻弄され、甘受するしかなかったのですが、


ガラシャは「アニーよ銃を取れ」ならぬ「女よ刀をとれ」で、祈るだけでなく、自ら武器をとって戦国の世を駆けたかったのかなあ。


感心した点


刀剣男子は、いわゆる付喪神(つくもがみ。時代を経過した刀に魂が宿り、人の姿に具現化した精霊)で、かつての所有者の武将に対して思慕の念をいだく設定があるようです。


かつて細川忠興が所有していた刀剣が、刀剣男子になってタイムリープした先で、かつての所有者の妻が歴史改変を試みているのに直面し、


忠誠心と、正史にもどさねばならぬ任務の狭間で苦悩するエピソードなどが盛り込まれていて、物語に陰影を与えていました。