宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

ニコラスはなぜ弁護士志望からゲリラになったのか





ニコラスはなぜ、弁護士志望の学生からテロリストになったのか


『ブエノスアイレスの風』は、これまで紫吹淳主演で1998年に初演、柚希礼音主演で2008年に再演されました。


初演も再演も、映像で拝見しただけですが、今回久しぶりに暁 千星さんのニコラスを見て、長年疑問だった


「なぜニコラスは、弁護士志望のエリート大学生だったのに、反政府ゲリラになったのか」


という謎に、自分なりの答えが出たような気がします。



『ブエノスアイレスの風』の時代背景は劇中で明示されていませんが、アルゼンチンで軍事政権の時代が終わり、選挙で大統領が選ばれた1983年ごろとすると、


7年間服役していたニコラスが投獄されたのは、1970年代半ば。


ゲリラとしての活動期間は1970年代前半ごろ。


ニコラスが学生生活を送っていたのは、1960年代後半ごろと推察されます。


ちょうど世界的に、学生運動が盛り上がっていた頃。


日本のみならず、世界的に学生運動を盛んに行っていたのは、その国の中でも、かなり偏差値が高い大学の学生たちでした。


そもそも、1960年代ごろは、日本でも大学に進学するのは同世代の2割ほど。


大学生の実家は、都市部の裕福な家とか、地方出身の学生でも、親は地元の有名企業に勤めているとか、教師とかが多かった。


給食費が払えないとか、ガスを止められたとか、そういう意味での貧困家庭の出身の大学生は、学生運動が盛んな大学にはほとんどいなかった。


現代から見ると、その社会における勝ち組の親を持ち、同世代の上位20%どころか最上位にいる勝ち組のエリートが、


なぜわざわざ「自由を!平等を!」と政治的、社会的な運動を熱心にしていたのか。


ニコラスだって、大学の法学部で学び、弁護士志望だったほどだから、アルゼンチンでは裕福な家庭の出身でしょう。


それが、孤児院出身のリカルドたちを率いて、軍事政権に対して最も過激な攻撃をしかけるゲリラのリーダーとなった動機は?


学生運動について調べていくうち、思い当たったのが、当時左翼の学生の間であった「自己否定論」




運動の主体である左翼学生が、実は「学生」という「恵まれた」身分(プチ・ブル)にあり、社会的弱者を抑圧しているのではないかという疑問から、


自らの学生という立場を否定することによって「加害者性」を克服し、弱者の立場に立たなければならないとする議論。


この自己否定論の登場以降、新左翼は「社会的弱者との連帯」を掲げて反差別闘争に力を入れるようになった[1]。



ニコラスら、軍事政権の体制で勝ち組に属する親をもった学生が、実は「学生」という「恵まれた」身分(プチ・ブル)にあり、


自分たちの存在が、孤児院で育ったリカルドら、社会的弱者を抑圧しているのではないかという「申し訳なさ」から、


もっとも過激なゲリラのリーダーになったのでは?



こんなことを思ったのは、男役としての紫吹淳とか柚希礼音って、どっちかというと、ニコラスよりリカルド役者。


「法学部のエリート大学生」より「孤児院育ち」のほうが、しっくりくる芸風では?



暁 千星さんのニコラスに至って、やっと「1960年代のアルゼンチンの弁護士志望の大学生」がしっくりきました(笑)


今さらだが「バブみ」って何だ




女性が使用する場合、『童顔の男性アイドル』や『甘えん坊な男性』の言動に母性を刺激された際などに使います。


本物の赤ちゃんや子どもに母性を刺激されたときに使用するのではなく、『ある程度の年齢の男性を対象』に使用することが一般的です。


子どもっぽい男性だけが対象になるわけではなく、普段はしっかりとしている人が無邪気な行動を見せたときに、母性を刺激されて使用することが少なくありません。


なるほど。


あのバブみのありちゃんが、今やタンゴを踊る背中のフォルムに、タバコとウイスキーの匂いを感じさせる男役になりました。すっかり成人ですね(笑)