宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

小池先生が絶叫!走り回った?月城ギャッビー制作発表会



「ジェイ・ギャツビーはいた。月城かなとである。」



2022年版の上演について小池は「(「華麗なるギャツビー」を上演した)31年前の自分が聞いたら絶叫して走り回るくらいうれしいことです。


当時のエネルギーのようなものを自分はまだ持っているのかと問われると、非常に危ない。


でも、月城かなとと海乃美月のコンビは、歌唱力はもちろん、歌の中にも演技力がちゃんと光っている。


その表現力の豊かさに、自分自身も観たい公演だなと思いました」とコメント。


さらに今の月組は「演技力がある組」だと太鼓判を押す。


小池先生、アレですね。


「ジェイ・ギャツビーはいた。月城かなとである。」(笑)



自分が年齢を重ねて、しみじみ感性が省エネになったなあ、と思います。


私はもう、初めて地方公演『あかねさす紫の花』を見た時の


ひゃあああああ 
きれい!


きゃあああああ 
カッコいい!


県民ホールのロビーを絶叫して走り回りたい衝動を、必死で抑えていたあのトキメキは、もう2度と体験できない。



自分の観劇感想を見ても、「これはVシネマ」だの、「ギリシャ神話コンプレックス複合」だの、


既知のパターンをあてはめて「あーはいはい。これはあのパターンの変形ね」とかで済ませてしまっている。



そんな干からびた感受性に潤いを与えてくれるのが、宝塚ファンにとっての贔屓であり、演出家にとってのミューズなのでしょう。



古代ギリシャの詩人は、ミューズの霊感を受け,その代弁者となって詩作したと言います。



制作発表会では、小池先生が月城かなと・海乃美月コンビから霊感を受けて書いた新曲「入り江がひとつだけ」と「朝日の昇る前に」を披露したそうです。



原作「グレート・ギャッビー」の舞台は、ニューヨークのロングアイランド。



正体不明の成金ギャッビーは、海に突き出したウェストエッグという岬に豪邸を構える。


狭い入り江の向こう、イーストエッグという岬に、初恋の人デイジーの屋敷がある。先祖代々お金持ちの、上流階級が住む街。



入り江を挟んで向かい合う、泳いで渡れそうなほど近い2つの地区。


だけど、男と女の間にある、越すに越せない河のように、


ほんものの上流階級と新興成金の間、「持って生まれた者」と「這い上がった者」の間には、「カネだけでは渡れない入り江」がひとつだけある、ということか?



今回上演される「グレート・ギャッビー」のキーワードは「入り江」?


まずは、制作発表での歌唱披露動画を楽しみにしております。