宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

朝日が昇った後じゃダメ?「グレート・ギャッビー」初日!




ギャッビー、朝日が昇った後ではダメだったのか?


マスコミ各社の写真、すべてに美が溢れている!










いやあ・・・本当に登場人物皆、美しい。


「美しいものを見ることには、価値がある」



上田久美子作「神々の土地」劇中のセリフですが、この格言は宝塚ファンの枠を超えて広がってほしいと思っています。


この表現における「価値」とは、「値打ち」という意味よりは、


「人間の基本的な欲求、意志、関心の対象となる性質。真、善、美、聖など」の意味あいが強いと思います。



人類が紡いできた、美への憧れの歴史。真、善、神聖なるものへの遠い憧れ。



「グレート・ギャッビー」とは一言でいえば


”ギャツビーがひたむきに初恋の人「デイジー」を求めながら、朝日の昇る前に破滅する話”


こんな話はいくらでもありそうで、でもこの「グレート・ギャッビー」が、20世紀最高のアメリカ文学とまで称されるに至ったのは、


ギャッビーのデイジーへの憧れを、世俗の惚れた腫れたのレベルを超えて、人類の「美」への憧れとも等しいレベルにまで昇華した描写にあると思います。


ギャッビーにとってデイジーは、善である。真実である。


デイジーは、ただの「美人」ではない。


「美」という概念そのものでなくてはならぬ。


主題歌「朝日の昇る前に」


ギャッビーは、デイジーの朝の光と釣りあう男となるために、暗い夜の闇を長い間彷徨い、いつ果てるともしれぬ泥沼をはいつくばって生きてきたのだ。


光を取り戻さなくては。朝日の昇る前に。


考えたら、不思議な歌詞ですよね。朝日が昇ったあとではダメなのか?




月組公演『グレート・ギャツビー』制作発表会パフォーマンス(ノーカット)




もうすぐ 朝の日が昇る 地平を バラ色に染め上げて


朝日が昇る前に 僕は掴んでみせる 誰にも果たせなかった 夢を




デイジーと、朝日の昇った後では、輝ける太陽の下ではできなかった、星だけが見ていたキス。


取り戻した刹那に手から零れ落ちた、2人の愛の時。


原作での描写を、村上春樹の訳でどうぞ。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
中央公論新社


もしこの娘にキスをして、この言葉にならぬ幻影を、彼女の限りある息づかいに永遠に合体させてしまったら、心はもう二度と軽やかに飛び跳ねることはないだろう。


神の心のごとく。


それが彼にはわかった。


だから待った。


星に打たれた音叉(おんさ)に、今一刻耳を澄ませた。


それから彼女に口づけをした。


唇と唇が触れた瞬間、彼女は花となり、彼のために鮮やかな蕾(つぼみ)を開いた。


そのように化身は完結した。