團子が猿之助の代役で話題の舞台を宝塚に逆輸入して!
「趣味は観劇」とは、世間的に見ればマイナーな趣味です。
宝塚歌劇団がブロードウェイミュージカルを日本初上演しようが、市川團十郎が襲名披露興行をしようが、
日本の人口1億2450万人のうちの1億2000万人以上にとっては、
「知らんがな」
そんな日本で、歌舞伎ファン以外からも広く注目を集めることになった、東京・明治座の舞台、「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の公演の行方。
昼の部は、市川猿之助のいとこで俳優の香川照之こと市川中車(57)の長男、市川團子(19)が準備期間わずか1日で20日の舞台に上がり、見事につとめあげたとのこと。
管理人はワイドショーで市川團子の舞台写真を拝見しただけですが、
え、この衣装、すっごく宝塚っぽい!
やだ、市川團子、オーラがあってかっこいい!
「不死鳥よ 波濤を越えて」って、植田紳爾先生版の風と共に去りぬに「愛はフェニックス」という歌詞があったなあ・・・
調べてみたら、「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」昼の部、「不死鳥よ 波濤を越えて」は、
ホントに宝塚歌劇団の植田紳爾作・演出でした。
壇ノ浦の戦いで戦死したとされる平知盛(たいらのとももり)が海を渡り、幻の都ローランに落ち延びたという大胆な設定と、歌舞伎に歌劇の演出が盛り込まれた“歌舞伎レビュー”だそうです。
歌有り! 『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』絢爛スペクタクル!明治座創業百五十周年記念 昼の部「不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―」初日公開 2023/5/3
文治元年の春遅く、平家が壇ノ浦の戦いで滅び去ってから早ふた月。
仮内裏として栄えた屋島も見る影もなく廃虚と化しています。
そこで見果てぬ悪夢にうなされながら目を覚ましたのは、新中納言平知盛。
知盛は壇ノ浦の合戦の最中、落命寸前のところを宋の水軍の将、楊乾竜に助けられ、密かに一命をつないでいました。
乾竜は名将として知られた知盛を宋に連れていくことを画策し、迫りくる源氏の追手から逃れようやく唐戸の浜まで辿り着きました。
そこで、深く心を通わせた若狭と再会できたのですが、現れた宋の船は女人禁制の掟。
知盛は大いに苦悩すると、若狭は美しい姿で舞い始め…。
植田紳爾先生には、源義経が大陸に渡ってチンギス・カンになったという伝説をもとにした『この恋は雲の涯まで』という作品がありますが、その同工異曲と言えなくもないのかな。
壇ノ浦の合戦で平家の滅亡を見届け、
「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」
と碇を担いで入水したと言われる平知盛が、海を渡り、波頭を超えて、「さまよえる湖」ロプノールのほとりにあったと言われる幻の都楼蘭(ローラン)に落ち延びて、
「死んではならぬ!」
「生きて、生きて、生き抜くのだ!」
ラスト、不死鳥は 宙乗りで飛び去って行く!
これだよこれ!あらすじを見るからに時代考証とかめちゃくちゃですが、
今の宝塚歌劇団には無い、ハッタリと、ケレンと、スペクタクルがある!
外箱で柴田作品の再演もいいですが、植田紳爾先生の作品を掘り出して、若手の先生にブラッシュアップしてもらって再演するのも面白いのでは?
手始めに「不死鳥よ 波濤を越えて」を雪組の外箱で再演して欲しい!話題性は抜群では?