はいからさんが通る感想 太陽のような紅緒さんへ
原始女性は太陽だった
「はいからさんが通る」って今見たら「王道ラブコメ」として楽しめますが、原作漫画が連載された1975年(宝塚ベルばら初演の翌年)は「女性の生き方」について世に問う、けっこう斬新な作品だったと思うんですよ。
宝塚版の舞台でも引用されていた、平塚雷鳥(文芸誌「青踏」編集者、女性解放運動家)さんの言葉
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。
女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。
私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。
平塚雷鳥「青踏」創刊の宣言 1911(明治44)年
自分を自分で照らす紅緒
少尉の「恋愛は、結婚してからすればいいんです」ってとんでもないセリフに聞こえますが、大正時代は
・女性が恋愛に興味を持つなんてはしたない
・女性は家庭で父親の娘、夫の妻、子の母という「役割」を全うすることが美徳
だと女学校で教え込まれていた時代。自我に目覚めた女性にとって、生きづらい時代だったと思います。
日本でも地方では1970年代まで、女性はお見合い結婚か職場恋愛で寿退職、会社で「妊娠出産後働きたい」と言ったら人事部がオロオロし、「奥さんを働かせるなんて夫の甲斐性が無い、子供が可哀そう」と言われ、「フェミニズム女は嫌いだ」と公言する男性が珍しくなかった時代でした。
そんな時代に「はいからさんが通る」を読んだ読者にとって、
「自分の好きな人と結婚したい」と宣言して、「女のくせに」と言われても全く気にせず我が道を貫き、能力を生かして編集者として生計を立てようとする紅緒さん、
そして彼女の存在を受け止めて、対等な存在として愛する少尉と青江さんの存在は、ただの王子さまではない、どんなに勇気づけられる存在だったろうと思います。
「青踏」創刊の宣言から実に85年後の1995年、中森明菜さんが歌った平塚雷鳥さんへのアンサーソングの一節をここに、紅緒さんへの賛歌として引用します。
恋に落ちて 私は燃え尽きて 孤独という氷河をさまよった
不幸に愛された運命はまた この心を手招くけど
太陽が昇る裸の胸に 今哀しみさえ 生きる希望に変えていく
及川眠子作詞 「原始、女は太陽だった」