龍の宮物語と鬼滅の刃 「鬼」と「夜叉」玉姫の共通点
鬼滅の刃の「鬼」に見る日本的心性
先日スカステで龍の宮物語を拝見しておりました。
この龍の宮物語については、また感想を書きたいと思っているのですが、このお話の根底にある「夜叉」「龍神」「生贄」などの要素に、宝塚で多い西洋のキリスト教的世界観とはまた違った、日本人の土俗の宗教観が垣間見えて興味深かったです。
本日は、前段として、週刊ジャンプにて最終回を迎えた人気漫画「鬼滅の刃」に出てくる「鬼」の描写と、雨乞いのため龍神の嫁(生贄)とされ、鬼(夜叉)となった玉姫の描写との関係について考えます。
鬼になった妹を人間にするため、兄は闘う 「鬼滅の刃」
TVアニメ「鬼滅の刃」第2弾PV 2019年4月6日より順次放送開始
この漫画の世界では、人が鬼の血を受けると鬼になります。(ポーの一族のようなもの)
鬼滅の刃の主人公 竈門 炭治郎(かまど たんじろう)は、ある日家族を鬼に喰われる。生き残った妹禰󠄀豆子(ねずこ)も鬼と化すが、微かに兄弟の絆は残っていた。
炭治郎は妹を人間に戻すため、鬼の親玉鬼舞辻 無惨(きぶつじ むざん)を自らの手で倒すべく、人間による対鬼精鋭部隊である鬼殺隊(きさつたい)に入隊し、鬼を成敗してゆく。
敵の鬼も、鬼になるくらいですので、人間だったころに相当な怨念を抱えています。たとえば
堕姫(だき)
人間だった頃の名前は「梅(うめ)」。亡くなった母親の病名「梅毒」からつけられた。
羅生門河岸(遊郭の最下層)で生まれ13歳で遊女となるが、客の侍の目玉を簪(かんざし)で突いて失明させ、報復として生きたまま焼かれた。死に瀕していたところ童磨に血を与えられて兄と共に鬼となる。
・・・少年ジャンプですよこれ(汗)
主人公の優しさ
鬼は人を喰らう存在ですので、鬼殺隊によって成敗されます。
鬼殺隊の面々はだいたい鬼に肉親を喰われておりますので、鬼に容赦ないのですが、この漫画の主人公は、心までは鬼になれない優しさがある。
鬼が消滅する刹那、その手を握る炭治郎。
その時鬼は人間だったとき、確かにあった幸せな瞬間を思い出すことができる。
この描写が毎回素晴らしくて、残酷なシーンの多い漫画なんですけど、ぐいぐい読んでしまうんだなあ。
で、この展開と「龍の宮物語」の構造が似ているなあ、と思いました。
鬼と悪魔、龍神とドラゴン
鬼はむなしい生き物だ 鬼は悲しい生き物だ 鬼は人間だったんだから
鬼滅の刃
西洋の「悪魔」というのは、「堕落した天使」、キリスト教成立以前の多神教の神が神性を失い「邪教」とされた、「一神教の神に敵対するもの」であり、日本の鬼とはまた違うもの。
東洋では龍は「神」ですが、西洋のドラゴンは悪、邪教の象徴であり、決して神聖なるものではない。
もしもこの龍の宮物語を外国の方が見たら・・・自動翻訳で日本語を英語に変換するだけでは伝わりにくいだろうなあ。
泉鏡花「夜叉が池」と玉姫
龍の宮物語に出てくる「夜叉が池」は福井県に実在し、龍神伝説、生贄の乙女、雨乞い神事を受け継ぐ一族、などの伝承も残っています。(うどん県にも類似の伝承はあり、全国にこんな話はあったのでしょう)
作家泉鏡花はこの伝説をもとに戯曲「夜叉が池」を創作しました。龍の宮物語はこの「夜叉が池」を下敷きにした優れた翻案だと思います。
今度機会があれば、泉鏡花の人外魔境三部作「夜叉が池」「海神別荘」「天守物語」と龍の宮物語との関係を考えてみたいと思います。
おまけ 西洋の鬼=ヴァンパイア 我らはこの世ならぬ者 神がつくりしものにあらず
花組公演『ポーの一族』制作発表会 パフォーマンス(ノーカット)