龍の宮はネバーランド?千年前の龍神と玉姫の関係性
龍の宮ものがたりは泉鏡花の妖怪3部作がベースだと思う
龍の宮のモデルは、おそらく泉鏡花の戯曲「海神別荘」だと思います。
泉鏡花は昭和の前半までは劇団新派(貴城けいさんの配偶者がいる劇団)の十八番として「芸者と書生のままならぬ恋」を描く作品が有名でしたが、
今では人外の妖怪を主役にした「夜叉が池」「海神別荘」「天守物語」の人外魔境3部作が代表作でしょう。
泉鏡花の「妖怪もの」の魅力は、人間がままならぬ浮世を、金やら見得やら世間の目を気にして生きざるを得ないのに対し、妖怪達は人間の世界の善悪や道徳に縛られずに、自由奔放に存在している対比にあります。
龍の宮のモデル?泉鏡花作「海神別荘」
あらすじ
海の底の御殿に住む、海神の跡継ぎである海の公子のもとへ、地上の美女が輿入れてきます。
宮殿に到着した美女に公子は優しい言葉をかけて、美酒でもてなします。美女はその幸福感を語りつつも地上への未練を訴え続ける為、公子は不機嫌となり、美女がもはや人間ではなく白い大蛇になったことを告げます。
美女は深く悲しみ、水底の世界を受け入れようとしません。公子は次第に怒り、美女を斬ろうと剣を向けます...。
ラストシーン
美女
「ひと足に花が降り、ふた足には微妙のかおり、いま三足めに、ひとりでに、楽しい音楽の聞えます。
いつか、いつですか、ゆうべか、今夜か、さきの世ですか。ここは極楽でございますか」
公子
「ははは,そんな処と一所にされて堪るものか。おい,女の行く極楽に男はおらんぞ。男の行く極楽に女はいない」
泉鏡花の妖怪ものは「ポーの一族」のようなものなので、いわゆる普通の劇団よりも、歌舞伎や女性だけの歌劇団(OSK)など「女形」「男役」のような異形の存在がいる劇団で上演することが多いです。
OSKさんによる「歌劇 海神別荘」
『歌劇 海神別荘』 京都水族館 歌唱披露イベント
美女の求めたもの
アイヌの神話 「梟の神の自ら歌った謡」
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに。」という歌を私は歌いながら流に沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が今の貧乏人になっている様です。
アイヌ神話の世界でも、梟の神さまが人間の世を空から見ると、人の世は「金の滴」を求めてキリキリ舞いしてたようです。
楽しいな♪楽しいな♪
おばけにゃ会社も 仕事も なんにもない♪
おばけは死なない 病気もなんにもない♪
「海神別荘」では、陸の父親に「財宝」を与えることと引き換えに海の公子の花嫁となった美女は、公子から与えられた「美しきもの」を地上の人に見せたいと願います。
人間であった美女は「美しいものは人間同士で見せ合ってこそ」と考えますが、異界の住人たる公子は「美しきものは誰にも知られずとも、それ自体に価値がある」と考え、二人は噛み合いません。
海の底深く、人に知られずあるものは「美」であるか否か。
美女はあくまで人間で、「人の間」の関係あってこその美と思っていますが、公子は違うようです。
龍の宮はネバーランド?
”女の行く極楽に男はおらんぞ。男の行く極楽に女はいない”
意味深なセリフですね(笑)
「ポーの一族」のエドガーが、14歳で成長を止めたまま、200年以上中二病を拗らせ続けるように、
私は海神別荘の公子は、ネバーランドのピーターパンのような存在だなあ、と思いました。
海の底で千年間、人との関係性が変化せず、肉体は成人していても、精神的に大人になれないまま、永遠の中二病の男。人間界でとっくに大人になっていた女。
男の極楽と女の極楽は噛み合わないまま、千年が過ぎ・・・そして清彦が現れる。