宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

龍の宮 清彦と玉姫 愛による魂の救済 現代の夢幻能

龍の宮物語の世界で、ストーリーを引っ張る原動力は玉姫でしょう。この人物像のモデルは泉鏡花妖怪劇の傑作「天守物語」の富姫だと思います。

玉姫のモデル?天守物語の気高きヒロイン富姫


『天守物語』(てんしゅものがたり)は、1917年に泉鏡花によって書かれた戯曲。


主役の富姫は白鷺城の最上階にある異界の主。夜叉が池の龍神さまともお友達。


「ちょっと勝気な美女が男装したような感じのする、涼しい目をした」、宝塚の男役がやる女役のような性格です。(そのため歌舞伎など「女形」が演じることが多い)

あらすじ

ある夜、鷹匠の姫川図書之助(ずしょのすけ)は、藩主播磨守の鷹を逃した罪で切腹するところ、鷹を追って天守閣最上階に向かえば命を救うと言われ、天守の様子を窺いにやってきます。


しかし富姫に二度と来るなと戒められて立ち去りますが、手燭の灯りを消してしまい、再び最上階へと戻り火を乞います。


すると富姫は最上階に来た証として、藩主秘蔵の兜を図書之助に与えますが、この兜から図書之助は賊と疑われ、追われるままに三度最上階へ戻ってきます。


いつしか図書之助に心奪われた富姫は、喜んで彼を匿いますが、異界の人々の象徴である獅子頭の目を追手に傷つけられ、二人は光を失ってしまいますが...。 


天守物語 | 作品一覧 | シネマ歌舞伎 | 松竹



玉三郎・海老蔵出演!シネマ歌舞伎『天守物語』予告篇


男性だけの劇団「花組芝居」による朗読劇



花組HON-YOMI芝居「天守物語」(2012)@定点カメラ *座談会あり


1時間10分あたりからクライマックス。目が見えなくなった富姫のセリフ

富姫 ええ何の。――そうおっしゃる、お顔が見たい、ただ一目。……千歳百歳(ちとせももとせ)にただ一度、たった一度の恋だのに。


芸能の原点は荒ぶる魂の鎮魂

天守物語の冒頭で歌われるうた

通りゃんせ♪通りゃんせ♪ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ


神社の由来はいろいろありますが、恨みを抱いて死んだ魂を鎮めるために建立されたものが数多くあります(菅原道真=天神さま など)


神社の境内には能楽堂があり、そこで演じられる舞台の多くは夢幻能と呼ばれます。

夢幻能超現実的存在 (神・霊・精など) の主人公 (シテ) が,名所旧跡を訪れる旅の僧侶 (ワキ)の前に出現する。


多くはシテの亡霊はワキの僧の弔いに成仏することを願って登場し、生きていたころの身の上を語り、舞い、いつしか舞台から消えて(成仏して)ゆく。

芸能の原点は、役者が神社に祀られた今は亡き者の想いを舞台に現出させ、観客はその魂の安らかであることを祈ること、鎮魂でした。


受け身の主人公清彦は、お能でいうと旅の僧?

富姫は、人間だったころ、領主に無理やり大奥に入れられそうになったのを拒み、舌を噛み切って死んだ女。


玉姫と同様の、夢幻能でいうとシテ


人間でありながら、居候の書生というちょっと浮世離れた清彦は、夢幻能でいうとワキ、「旅の僧」的な存在で、


「龍の宮物語」とは、玉姫(シテ)の荒ぶる魂を、清彦(ワキ)の愛という祈りによって鎮める、現代版、鎮魂の夢幻能なのかなあ、と思いました。


現代の大衆に支持される妖怪譚

このたびのコロナ禍で「アマビエ」伝説が脚光を浴びたり(理事も描いてらっしゃいましたね)しておりますが、欧米で疫病鎮めを妖怪(妖精?)に祈る、というニュースは聞かない。


「鬼滅の刃」から始まってつらつら書いて来ましたが、これだけ文明が進んだ時代に、慈しい鬼退治(鬼滅の刃)や龍神伝説が現代人の心に刺さる、というのは、その作品の世界観が日本人の近代以前からの世界観、宗教観に繋がる深いところを捉えているのだろうなあ、と思いました。