宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

「舞台を生で見ていないなら語るな」と言われても

「舞台を生で見ていない方は語らないで」

誰にも面と向かって言われたことはないけれど、皆さま、どこかでこんな思いを持っているのかなあ。


正直に申しまして、私は、地方(しかもリアル過疎地域)出身であることがコンプレックスです。ブログのタイトルを「ライビュ専科の地方民」としているほどに。

例えばミュージカルを観たり、美術展を観たり、海外に留学していたり、親の趣味もあるけれども、いろんな豊かな教育を受けて東大に来る子達と、単位未履修で世界史も知らないで、とにかく受験の科目しか勉強してこないで、脇目も振らずに東大に来た子達、特に女子の場合に、やっぱり文字通りのカルチャーショックを受けて、不登校になっちゃう子もいるんです。


要するに、教育の地域間格差は解消したんだけれども、文化の格差がものすごいから、その地域間格差が、今、大学生達を苦しめているんですね。            平田オリザ氏の対談より

http://ewoman.co.jp/winwin/102/2/3
私はもちろん東大出身ではないですが、この文中の「都市部育ちの生徒との文化的体験の差に、カルチャーショックを受けた女子大生」というのは、正に大学時代の自分でした。


都市部と地方の文化格差

地方といっても、関西と名古屋・福岡クラスでも違うし、県庁所在地と僻地でも度合いが違うのですが、

・町内に図書館は無い。最寄りの本屋(書店ではない)まで10キロ

・家から半径30キロ圏内に映画館が無い

・地元の農村環境改善センターに氷川きよしがコンサートにくるというので、半年前から町中大騒ぎ

という環境に育つと、本当に地上波テレビで放送されるものが文化のすべてと思ってしまう。


そうなると、「今」の流行はわかるんだけど、「過去」の豊かな文化の蓄積、往年の名作映画、クラシック音楽、古典絵画、といったものに生で触れる機会がない。


「遠方の劇場に催しを見にいく」なんてまず発想がない。


「いやいや、当時でもNHK教育(Eテレ)や衛星放送(BSやWOW WOW)で、宝塚の舞台映像や、往年の名作映画や、N響コンサートや、美術番組も放送されていたぞ」


というお声もあるでしょうが、それらはまず「生」の迫力に触れて、「これは何だ?」という衝撃があって、その何故を解き明かしたくなってヒントを求めて見るもので


「学校の音楽の時間にモーツァルトを習ったら、クラシックがわかる」というものではないでしょう。

私だって生で見たかったけれど

あなたの感動は、生で見たものではないから、本物の感動ではない、偽物の感動だ。

程度の低い感動で満足して、おかわいそうね。


と思う方もいるかもしれません。


自分に、生の芸術に触れるという教養体験が無く育った、という事実はどうしようもないことで。


この10年、メトロポリタンオペラや、ボリジョイバレエや、歌舞伎や2・5次元舞台がディレイビューイングに乗り出してくださって、


都市部の「生の舞台のチケットを買えなくて、しかたなく」という層のみならず
「劇場が地理的に遠いけど、劇場で仲間と感動を共有する体験をしたい」という層も発掘していると思う。


宝塚は演劇という「劇場に人を集めてなんぼ」の業界でありながら、柔軟にビデオ販売、スカステ、ライビュ、そしてネット生配信、というサービスを提供してくださっていて、本当にありがたいことです。(ビデオを販売したら、劇場に客が来なくなる、という懸念もあったでしょう)

俳優の舞台が、フィルムやレコードの上にたとえ残されようと、その与えた本当の生の感動は時代と共に滅んで、ただ後代へ口づてに伝承されるだけだ。


残るのは目撃者の証言だけであり、その目撃者もやがて死に絶えるのである。 

                        三島由紀夫

最近宝塚ファンになった方にとっては、すでに退団したスターさんの公演はもう終わっていて、生で見るなんて絶対にかなわないことで、


でもスカステがあれば、すぐに何十年ものファン歴の差を超えて往年のスターさんについて語ることができる、って素敵なことだと思う。