宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『ポーの一族』考察②メリーベルはどこへ行ったのだろう




ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』舞台映像



花組公演『ポーの一族』制作発表会 パフォーマンス(ノーカット)

ポーの一族に引き入れようとするエドガーに気づいたアランによる、祈りの言葉

天は神の栄光をあらわし 大空は御手のわざをしめす


この日、ことばをかの日につたえ この夜 知識をかの夜に送る


語らず いわず その声聞こえざるに 


そのひびきは全土にあまねく そのことばは地の果てまでおよぶ


願わくは  われをかくれたる咎(とが)より ときはなちたまえ


願わくは 願わくは

このメロディの正解は、いつわかるのでしょうね(笑)



この祈りの言葉は、旧約聖書の詩篇19編から引用されているそうです。


人間がイエス・キリスト以前から、2,000年以上語り継いた祈りの言葉。


この作品世界に出てくる「人間達」の価値観は、ほぼ「キリスト教徒の価値観」でしょう。




【中学 地理】 世界の環境5 世界の宗教 (14分)


世界の人類の3分の2は、エルサレムが聖地である宗教(キリスト教徒か、イスラム教徒か、ユダヤ教徒)


日本に住んでいると、赤ちゃんが生まれたら神社でお宮参り、大人になってチャペルウェディング、お葬式にお坊さんを呼ぶのも普通だし、


アジアには中国やインドといった非キリスト教の大国があるから、あまり実感しないけれど、


欧米の美術館に行くと、「自分はキリスト教徒ではない、異教徒なんだな」としみじみ思う。


西洋の古典絵画も、クラシック音楽も、世界をリードする「現代思想の潮流」というものも、


結局キリスト教徒でなければ、心の底から「あー、わかるー」という共感は味わえないのでは、という疎外感(個人の感想です)。



隠れたる咎=アダムとイブによる、原罪


聖母マリアのように、処女懐胎で生まれなかった人間が背負う罪。



しかし、聖書によれば、原罪を背負い死んだ人間は、最後の審判で裁かれ、死体は霊魂と結びつき、神のもとで永遠の命を与えられる。


では、天国の隣、地獄の向かいにいる、ポーの一族の死生観は?


エドガー:「ねえ、人が生まれる前、どこにいたか知ってる?」


アラン:「知らない」


エドガー「ぼくも知らない。だからメリーベルがどこへいったかわからない」

さきほど引用した聖書の言葉とは、ずいぶん異なる死生観。


ポーの一族は「メリーベルは天国へ行ったよ」とは、決して言えないのだ。


この世で永遠を生きるポーの一族は、心臓に杭を刺されると「死ぬ」のではない。


死体を遺さず「消滅」する。


よって、死後の復活は無い。



シーラは「ヴァンパネラになって、不老不死、やったー!」という価値観のようですが、エドガーは18世紀の生まれであり、人の世のキリスト教的な価値観が沁みついているのでしょう。


神の国での永遠から外れ、


子孫にDNAを残す=「遺伝子の乗り物」からも外れたことを、哀しんでいるのかなあ。


ポーの一族を繋ぐのは「愛」のはずなのに。


エドガーは、原作では肉体が14歳のまま止まってしまった。


いわゆるアダムとイブ的な、成人同士の「愛」からは外されてしまったままなのだ。


ロマ(ジプシー)の世界観

ナチスによって弾圧されたのはユダヤ人だけでなく、同性愛者やロマ(ジプシー)も含まれていた。


ロマの死生観とは

ジプシーは人が死ぬと「そんな人間はこの世にはいなかった」と考える。


名前も口にしない。思い出話もしない。遺品も残さない。


そんな人元々、この世にいなかった。


つまり「誰も死なない」。この世には常に生きている人間しかいない。


https://wakazo-deathcafe.com/2020/03/28/trump_jorker/

つまり彼らは、ナチスが考えるキリスト教の正統の教義とは違う価値観である、ということから弾圧された。


2012年11月、セルビアのザロジェ町役場が「吸血鬼警告」を発出


ニンニクの売れ行きがよくなった。木製の十字架が飛ぶように売れている。この事実が意味することはただ1つ・・・、吸血鬼の襲来だ!? 


だがこれは、映画の脚本や小説の一節ではない。セルビアの町、ザロジェで実際に起きていることだ。11月にこの町の役場が地域の公衆衛生に関して、この地区に住むと伝えられる吸血鬼、サバ・サバノビッチ(Sava Savanovic)が徘徊している可能性があると警告を発したのだ。

当時ちょっと話題になったニュースで、どうやらこれは役場の観光キャンペーンを住民が誤解した、ということらしいのですが、場所がセルビアというのが興味深い。


ポーの一族の舞台は、イギリスのスコッティ(スコットランド)の片田舎ですが、


ヨーロッパ本土では吸血鬼伝説は、トランシルバニアやセルビアといった、キリスト教の総本山のバチカンから地理的に遠い東欧地域が中心でした。


辺境ゆえ、キリスト教がヨーロッパ全土にあまねく、地の果てまで及ぶ以前の価値観、世界観が色濃く残ったのでしょうね。


吸血鬼の存在が今でも信じられているのはなぜですか?


【ボリーニ氏】


人間の思考の奥底に流れる2つの要素、死と血につながっているからだろう。


死は誰もが避けられない運命であり、血は我々の生命維持に欠かせない液体だ。


吸血鬼はこの2つの要素を逆説的な形で結びつけている。


死体でありながら、血を吸うことで死を逃れている、というわけだ。

吸血鬼とは、で結びつけて永遠を生きる。


「ポーの一族」とは、小池修一郎先生の永遠のテーマである「愛と死の輪舞」の話なのですね。



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