ワンス~おまえら、心中するのか アポカリプスの4騎士たち
※この記事は第2幕の重要な点についてネタバレしていますので、スペースを空けております。
このお話は、聖書のイエス・キリストのエピソードのパロディではなかろうか?
映画版のワンス~ではマックスが、
・禁酒法が終わって、酒の密売で稼げないので連邦準備銀行を襲撃する。
・死んだふりをして実は生きていて、表社会で生きなおす。
おいおい、ずいぶん荒唐無稽な展開だなあ、と思いましたが、ひょっとしたらこのお話は、あるユダヤギャングの半生をリアルに描くというよりは、聖書のエピソードのパロディでは、と思ったのです。
映画版と宝塚版の決定的な違い
宝塚版:
マックスは本気で連邦準備銀行を襲う気だったが失敗し、たまたま1人生き残った。
マックスの人生は実はジミーの手の上で転がされていた。
映画版:
マックスは最初から「死んだことにして別人に成り済まし、表社会に復活する」計画を立てる。
ヌードルスの裏切りも想定済み。
自らの死を偽装するため、最初から替え玉焼死体を用意していた。
イエスの死と復活
イエスは生前ユダヤの神殿に乱入して、中で商売をしている者たちを「ユダヤ教徒から暴利をむさぼっている者たちめ!」と追いだしたりしていて、ローマ総督に目を付けられていたんですよ。
ひょっとしたらイエスは自身の逮捕・処刑を予想し、自身を神格化するため、自身の死後遺体を隠すことを指示し、復活を演出したのではないか?という説があります。
このあたりのエピソードに、聖書のパロディみを感じるのです。
※「アポカリプスの4騎士」というのは、聖書の「ヨハネの黙示録」で描写される世界の終末の光景に登場する、「人間を死に追いやる不吉な存在」の象徴です。4人目が蒼ざめた馬に乗る「死」
映画版ワンス~おまえら、心中するのか
ワンス~の世界を日本でやるとこうなる(笑)映画版ではラストシーンで、おまえら心中するのかと思ったんですよ。
いえ、現代のLGBTとかBLという意味でもなくて。
あちらの世界の方々は男同士で「親分・子分」、「兄貴分・弟分」という疑似家族関係を構成していて、それを「仁義」と呼ぶそうで。男同士の、友情という言葉で表すにはあまりに苛烈な、憧れとか、執着とか、愛憎をはらんだ関係なんですね。
映画版でのマックスはヌードルスよりも年長で、頭がキレて、何を考えているかわからなくて、でも抗えない圧を持った人物。ヌードルスと同格ではなく、完全に兄貴分なんですね。
映画のラストシーン、マックスがヌードルスをわざわざ凝った呼び出し方をして「俺を撃ってくれ」・・・このセリフに究極の愛の告白みを感じまして(汗)もうこれ心中じゃね?
蛇足
えーっと、今日は小池先生、ちょっとこちらへ
宝塚版ねえ、マックスが
・禁酒法撤廃&不動産投資に失敗→金が無いから連邦準備銀行を襲撃だ!
・ジミーに借りた金の運用に失敗して、資金繰りに困った→ユダヤ教では自殺はタブーなのでヌードルスに「撃ってくれ」と言っているっぽい
・・・なんか小物感といいますか、金に困って無茶ばっかり・・・登場人物の背丈が低いんですよ。
映画版の、聖書の寓話の仮面劇を見るような、腹の底の見えない、ヌッと大きな常人離れしたところがない凡庸な人物像になっていません?マックスに小物感があると、ヌードルスの苦悩の絶唱がちょっと浮いちゃう感がありましてね。
あ、彩風さんマックスもちょっと
望海ヌードルスがまるでゲッセマネのキリストのような、人類の苦悩を背負ったような絶唱をしているのにねえ、あなた妙にあっけらかんとしているから、ヌードルスの苦悩が放蕩息子に悩まされるお父さんみたいに見えるのよ。
貴方ギャングでしょう。もっと人を疑いなさいよ。ジミーの手のひらで踊らされている感があって、話のスケールが小さいんですよ。
あっけらかんは縣だけでいいから。というか可愛い縣を巻き込まな(以下略)