宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

人外の鬼才みりおトートはシシィの鏡だから’14花ガラコン


最近うどん県では寒暖差が激しいです。皆様、お元気でしょうか。


今年に入ってから、ポーの一族&エリザガラコンの配信&ライビュで、OGの明日海りおさんを5回くらい拝見している地方民です💦


宝塚版歴代エリザでどれがお気に入り?

管理人が初めて宝塚を生で見たのは、ミュージカル『エリザベート』が宝塚で初演された1996年。(宝塚ファン歴を自分で計算しなくても、劇団がアラームしてくれて便利♪)


初演雪組『エリザベート』の宝塚大劇場公演が2月~3月にあって、6月の東京宝塚劇場公演の合間の4月~5月の地方公演『あかねさす紫の花』、一路大海人、花總額田、轟中大兄の配役でした。初演トート、シシィ、ルキーニそろい踏み。


そしてヅカオタとなった私は、お年玉を下ろして当時1万2千円以上した初演雪組『エリザベート』のビデオを購入し、それこそ擦り切れるほど繰り返し鑑賞し、


数学の時間に「なぜシシィはお風呂に入ったあとの遅い時間に、これから肖像画でも描かせるかのような正装をしているのだろう?」といらんことを考えていたら赤点を取りました。先生ごめんなさい💦


だから初演はもう別格として、花總シシィの次に好きなのは、実は蘭乃シシィ。


・・・まあね、「歌うまは正義」の現代において、蘭乃さんの不安定な裏声歌唱は、正直いつ崩れるかハラハラいたしますけれども💦


この『エリザベート』という作品においては、それすら奇矯(言動が常人と違うぶっとんだ様)なシシィの危うさとマッチしているように思いますわ(あくまで超個人的好みです)


稀代の変人シシィ、偉大な凡人フランツ

結婚翌日、朝5時の嫁姑バトルで


フランツ:「僕は君の味方だ、でも母の意見は君の為になるはずだ。わかったかい?


シシィ:「わかったわ。あなた私を見殺しにするのね」



息子に先立たれた晩年になって


フランツ:「わかっているだろう。なぜ、私がここに来たのか。」


シシィ:「わかっていると おもいます。



この「わかったわ」のわかりあえなさ。



蘭乃シシィ、16歳の時点でフランツに「一切合切凡人な あなたじゃわからない かもね」と見限っているんじゃなかろうか。




エリザベートの気持ちになって「うっせぇわ / Ado」歌ってみた【ミュージカル女優】


確かにフランツのナンバーって、意図的に可も不可もない凡庸なメロディにしているような。




トートとシシィは鏡同士


小池修一郎と明日海りおの共通点は、「鬼才」である。


鬼才とはもともと、唐の夭折の詩人李賀のこと。


秋墳  鬼は唱う 鮑家の詩

恨血 千年 土中の碧 


(超意訳)


私が死んだ秋の墓場に、トート閣下の歌うレクイエムが聴こえる。


恨みを残して死んだ私の赤い血は、土の中で千年たって エメラルドと化して永遠に残るのだ。



その詩は絢爛(けんらん)と凄絶(せいぜつ)を兼ね合わせた幻想の世界を得意とし、作風はペシミズムとデカダンスに塗り込められて暗い。


美女の亡霊、深山の妖(あや)かし、墓前の鬼火などを好んで詩題としたため、後世の批評家から「鬼才絶」(冥界(めいかい)の異能力者)と称されるに至った。わずか27歳で夭逝(ようせい)


ニンゲンの役よりも、「人外」の役を演じることで、人間世界のシルエットを逆光として照らし出し場を支配する、鬼才の役者明日海りお。


つい最近まで気を抜くと「鏡に映らない」エドガーを演じていた明日海トートと、奇矯な蘭乃シシィを見ていると、


シシィとルドルフは「僕たちは似た者同士」「私たちは鏡同士」と言っているけれど、トートとシシィも鏡同士かもしれないと思いました。


実在のシシィも


「黒いカモメが私を見ている。1日8時間歩いても、船に乗っても、汽車に乗っても、黒いカモメはずっとついてくる」


といったニュアンスの詩を残したそうですが、


トートとはシシィの自己愛(美貌への執着)と、死への憧れにエロスを感じる希死念慮が生んだ、シシィの分身としての美しい死神ではなかろうか。


「私とあなたは裏表 やっと一つになれたのね」