礼ロミオを称えて「世界の王」は恋の革命ソングだった!
宝塚版「ロミオとジュリエット」の上演史において、礼さんのロミオは、初演の衝撃以来の一つの決定版の誕生であり、或る意味革命だと思いました。
なにより、歌が上手い。
正直、制作発表会の時は、あまりにピュア過ぎて幼い感じすらあったのですが、舞台を拝見してみると、その脆そうなピュアは、とてつもなく強いものでした。
「世界の王」は革命ソング?
これまでの「ロミオとジュリエット」は、
恋の狂熱に浮かされた若者の、疾走の果ての悲劇
というミクロな世界の話の印象が強かったのだけど、
演出に稲葉 太地先生が入ったこともあるのかな?稲葉先生潤色の『アナスタシア』の時も、本編ではほとんど語られない、ロマノフ王朝とかロシア革命というマクロな社会構造が、ミクロな恋人たちの関係に及ぼすものを丁寧に演出しているなあ、と思ったのですが、
2021年星組版は、人文科学というより社会科学的というか、分断されたヴェローナという社会にとって、ロミオとジュリエットの恋は「革命」に値するものだったのでは?と感じました。
『ロミオ&ジュリエット』プレスコール!古川雄大ら「世界の王」ほか2曲を熱唱
世界を 治める 王様たちは雲の上
この地上のヒーローは ここにいる 俺たちだ
世界の王様は 俺たちを恐れてる
新しいルールは 俺たちが作るんだ
この歌、今まで「昭和の頃もイキがったヤンキーたちが、バイクに気合の入った書体で「天上天下唯我独尊」ってペイントしてブイブイ言わせてたよね(苦笑)」
と思いながら聞いておりました。
ヴェローナにおけるモンタギューとキャピュレットの対立は、ロミオとジュリエットのお父さん同士が仲が悪い、ということで済まなくて、神聖ローマ皇帝とかローマ教皇とか、雲の上の世界の対立にまで繋がっている根深いもので、
が、今回、狂った街で迷いなく真っすぐ「争いなんてやめろ」「誰もが自由だ」と言える礼ロミオが歌うと、チェ・ゲバラが歌う革命ソングのように聞こえました。
恋に恋するロミオは仮面舞踏会で、仮面のジュリエットに恋に落ちて、それはまさしく唐突な一目ぼれだったのだろう。
ロミオとジュリエットは恋と革命のために生れて来たのだ
いつも、ロミオとジュリエットの出会いから結婚の決意まで、いくら何でも展開早くね?と突っ込みたくなるのですが💦
ジュリエットが宿敵キャピュレットの人と知って、
「キャピュレットだけど愛した」のだろか。
「キャピュレットだからなお愛した」のだろうか。
礼ロミオを見ていると、ロミオはジュリエットとの間に「エメ」が生まれたことは、この分断された世界を変える革命の希望のトリガーになる!と思ったのかもしれない。
原作では2人の結婚は秘密のままで、ティボルトとマキューシオはいつものケンカがヒートアップしすぎて刃傷沙汰になってしまったのだけど、
宝塚版では2人の結婚が街中に知れ渡り、悲劇の決定的なトリガーになってしまう。
親友たちから「なんでキャピュレットの娘なんかと!」と責められて、心の底から
「いや、この天地で、人はひとりひとり皆自由で、尊い!世界の王は愛だ!」と、今なら当たり前?だけど、当時としてはお釈迦様の「天上天下唯我独尊」並みにラディカルなことを、迷いなく言えるロミオ。
あなたは、恋の革命家だ。
かくめい
太宰治
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。
じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。
そしてロミオとジュリエットの死によって結びついた愛は、ヴェローナに和解という革命をもたらしたのだ。
「敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあのひとたちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、
革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。
私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。」
(「斜陽」より)