『桜嵐記』歴史背景さっくり解説”正行”は”まさつら”だよ
『桜嵐記(おうらんき)』
作・演出/上田 久美子
南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。
度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。
「太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。
桜嵐記初日、おめでとうございます。
最近のウエクミは、わかりやすいメロドラマから、客に「さあ、この難解な世界についてこれるかしら?」と挑戦状を叩きつける作風になっておりますが、
さすがに「桜嵐記」は、かつてのウエクミ節に戻ると思っているのですが・・・
本日は、観劇前に物語の背景についてさっくりと。
【日本史】 中世23 建武の新政と南北朝の動乱2 (16分)
鎌倉幕府に不満を持つ武士たちよ!立ち上がれ!
鎌倉幕府は弱っていた。
モンゴルが攻めてきて、神風が吹いて助かったものの、新たに領地を獲得したわけではなく、必死に戦った武士に与える褒美が無い。
命がけで戦ったのに褒美なしかよ!貧乏武士の不満は、上級国民である北条一族に向かっていき、鎌倉幕府に反抗する武士も出てくる。
皇太子尊治親王(後の後醍醐天皇)は不満だった。
天皇家内部は、モンタギュー家とキャピュレット家のように二手に分かれ、皇位継承を巡って争っていた。
鎌倉幕府は「じゃあ、10年交代で、それぞれの家から天皇になればいいじゃん」とテキトーなことを言う。それでは自分の息子に皇位を継がせられないではないか。
そもそも武家に頭があがらない天皇家ってなんなんだ。昔は天皇中心の政治だったではないか。鎌倉時代になってから、天皇は誰が何しているの状態ではないか。
平安時代カムバック!朝廷の権威よもう一度。
ということで、
鎌倉幕府に不満を持つ武士たちよ!立ち上がれ!
と呼びかけるも、失敗。隠岐の島に流される。
しかし、鎌倉幕府に不満を持つ地方武士の中には、「天皇をないがしろにし、島流しにするとは何事か」と後醍醐天皇側に付く者(足利尊氏、楠木正成など)が現れ、
ついに鎌倉幕府は滅亡!やった!
武士の世を取り戻せ!
後醍醐天皇は政治を武士から取り戻し、「これからは天皇自ら政治を行う!」と宣言するものの、
命をかけて戦った武士への褒美はほとんどなく、上級国民の公家が政治を独占。
「平安時代に戻ろう」と言って、武士に「300年前のお触れに従って領地をいったん返せ。公家が裁判で裁定してやる」と言い出すも、裁定はカネコネしだいの忖度まみれ。
文句があるなら賄賂をよこせ?
さらに大増税?
・・・
ふ・ざ・け・ん・な!
ついに足利尊氏らが後醍醐天皇を裏切り、反乱を起こすのであった。
そして結局、天皇家は足利尊氏側が擁立した北朝と、後醍醐天皇が吉野に逃げて起こした南朝(楠木正行はこっち)に分かれて、60年近く対立することになるのです。
その後の展開については、こちら(伝承に基づくネタバレああり)