礼ロミオはシェイクスピアの想像力をも超えているのでは
「ロミオとジュリエット」東京大千秋楽、おめでとうございます。
5月の美しい光の中で、伝説となるであろう「ロミオとジュリエット」の上演を、ライビュで鑑賞させていただきました。
ライビュ会場でも劇場の客席の拍手👏って、スクリーンの向こうとこちらを繋いでくれる大切なものだと改めて実感しました。
私、普段礼さんがあまりに達者すぎて「上手い、上手すぎる」とボキャ貧状態に陥っていたのですが💦
今回のロミオは、もしもシェイクスピアが観劇したら
「俺、ロミオをこんなに魅力的に書いたっけ?」
と作者の想像力をも超えていそう(笑)
舞空ジュリエットや愛月ティボルトは、生(と抑圧された性)のエネルギー、体臭がぷんぷんしているけれど
礼ロミオは登場したとたん、綿毛をふーっとして、血の匂いがぷんぷんする街で「争いはダメだよ」と言えちゃう、
「この世の者とは思えない」とか「一風変わった人」と言う意味での、ヴェローナの「異人」でいられる人。
虫も殺せなそうなピュアな少年なのに、カッとなってティボルト殺しという大罪を犯してしまう危ういヤバさもあり、
悩み苦しみ、最期には自ら命を絶ち、
でもその死が、最後には世界に和解をもたらす。
男役の体臭がぷんぷんする人がやったら、「いい歳して何やってるの」という「人間的な、あまりに人間的な」悲劇、もしくは「笑えない喜劇」になりかねないと思うんだけど、
上手すぎて、ニンゲンを超えてアポロ神のような礼さんがやると、ナウシカっぽいというか「ロミオとジュリエット」が愚かな人間の劇を超えて、神話のような聖性すら帯びた物語になっていると思いました。
絶世の美男子で,弓矢と竪琴をたずさえ,予言とともに音楽,医術,牧畜なども司り,また病の矢を放って人や家畜を殺す恐ろしい疫病神としての面ももつ。
ニンフや人間の女,あるいは美少年との間に多くの恋愛譚が伝えられるが,なぜかその大半は悲劇的結末に終っている。
礼さんのロミオは、この世に宝塚歌劇団がある限り、語り継がれる当たり役ですね。
君の美しさを夏の一日に例えようか
君は更に美しくて 更に優しい
心無い風は5月の蕾を散らし
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか
太陽の熱気は時には耐え難くて
その黄金の面を遮る雲もある
そしてどんな美しいものもいつも美しくはなくて
偶然の出来事や自然の変化に傷つけられる
併し君の夏が過ぎることはなくて
君の美しさが褪せることもない
この数行によって君は永遠に生きて
死はその暗い世界を君が彷徨っていると得意気に言うことはできない
人間が地上にあって盲にならない間
この数行は読まれて 君に命を与える
吉田健一訳 シェイクスピア ソネット第18番