宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『王家に捧ぐ歌』ラダメスとアイーダは実在した!?



『王家に捧ぐ歌』を『ムー』視点で斬る!


『王家に捧ぐ歌』無事幕が開いたとのこと、おめでとうございます!ライビュを待つ間に、エジプトネタで気分をアゲたい!と思っていたら、こんな本を発見。



謎の古代遺跡など、世界中に残る不思議に満ちたスポットの数々を両誌の視点で紐解き、各地の神秘に迫っている本書だが、一般論から奇想天外な説まで掲載されている。


例えばエジプトの3大ピラミッドについて。


『地球の歩き方』は、紀元前2500年頃に当時の王によって建造されたと紹介しているが、


『ムー』は1万2000年以上前に海底に沈んだ幻のアトランティス大陸や宇宙にそのルーツがあると主張する。


あー、子供の頃は、


オカルト雑誌『ムー』
「巻頭特集!△ピラミッド△に残る謎の空間は、古代の核戦争のシェルター!?あるいは軍事基地?」


にワクワクし、


社会人になってからは


『地球の歩き方』
「ギザのピラミッドへの行き方は、カイロ中心部、タリフール広場からバスで1時間。ギザのピラミッド地区の移動は無料巡回バスが便利。ぼったくりラクダ使いに気を付けて」


にお世話になりました。今はこんな情報はネットですぐわかるものねえ。


こんな水と油?の雑誌が奇跡のコラボを果たした『異世界の歩き方』。なんでも、もともと『ムー』を発行していた学研が、『地球の歩き方』を買収したことがきっかけだそうで。


今回は、『異世界の歩き方』をマネして、『王家に捧ぐ歌』を『ムー』的視点で考察!




謎1 ラダメスとアイーダは実在した?



ベルディ作曲の4幕7場のグランドオペラ。スエズ運河開通(1869)記念に建てられたカイロの大歌劇場の開場式のために,エジプト太守が依頼したもので,初演は1871年カイロ。

『王家に捧ぐ歌』の原作オペラ『アイーダ』は、エジプトの太守が


「我が街カイロにも、欧州の大都会に負けない立派なオペラ劇場と、一流作曲家によるご当地オペラを!」


と思い立ち、イタリアの大作曲家ヴェルディに依頼して制作されたもの。


エジプトが製作に関わっていますから、荒唐無稽なおとぎ話というわけにはいきません。エジプト考古学者マリエットが、ストーリーの原案と時代考証を担いました。


マリエットはエジプトでの発掘中、神殿の下から男女の遺体(女の遺体は黒人だったとも)を発見したことにインスピレーションを受け、「アイーダ」の原案を作成したそうです。


マリエットが発見したのは、ラダメスとアイーダだったのか!?


(まめちしき)いわゆる古代エジプトの時代には、今のエチオピアにまだ国家は無く、今のスーダンのあたりにあった「ヌビア」という王国が、アイーダの故郷のエチオピアのモデルだそうです。


謎2 古代エジプトに女系ファラオとか、女性ファラオとかいたの?



ハトシェプストが生まれたのは、エジプトが版図を拡大しつつある時代だった。


祖父と思われる、第18王朝の開祖イアフメス王は、ナイル川流域の北部を2世紀にわたって支配していた強大なヒクソスの軍勢を掃討した。


その息子アメンヘテプ1世には後継者となる息子がいなかったため、王女と結婚した有能な将軍トトメスが王位を継承することになったと、歴史家たちはみている。その王女とは、イアフメス王の血縁とみられているイアフメスだ。


ハトシェプストは、このトトメス1世とイアフメスの間に生まれた長女だ。

古代エジプトにも、ファラオの娘に有能な将軍が婿入りとかあったんですね。


ハトシェプストは、ファラオであった夫の死後、側室の産んだ男子トゥトメス3世の摂政となり、実権を握りました。


ハトシェプストの治世は対外戦争をやめ、内治と経済復興に力を注ぎ,平和な治世は22年間続き、芸術、建築、通商が栄えたそうです。


年月がたつと、男性になりきったほうが統治しやすいと考えたのか、彫像や浮き彫りでは、ファラオの頭巾をかぶり、シェンジュウトと呼ばれる腰布をまとい、付け髭(ひげ)までした姿で、自身を「男」のファラオとして描かせています。


古代エジプトに、男装の女王がいた!このハトシェプストが、アムネリスのモデルだったのか!?


(まめちしき)この偉大な義母はトゥトメス3世に疎まれたようで、死後その名は削り取られ、ミイラは行方不明となっていました。彼女のミイラが確認されたのは、『王家に捧ぐ歌』初演後の2007年!


ちなみに死因は、虫歯を抜いたあとの傷口から細菌がはいり、全身に菌が回ったため、だそうです。


彼女の死後、エジプトは再び戦争路線に戻りました。



謎3 暗殺されたファラオはいたの?


昔は「ムー」で「暗殺された悲劇の少年王、ツタンカーメンの呪い!」特集がありましたが、


現代、ツタンカーメンのミイラのCT検査結果などにより、ツタンカーメンは戦車から落下して骨折、その後感染症で死亡したという説が有力とされているそうです。古代世界では抗生物質もありませんでしたしねえ。暗殺より細菌のほうが怖い。


実際に暗殺されたことが確認されたのは、古代エジプトの最後の偉大な王、ラメセス3世。




喉の深い切り傷、CT画像で明らかに


 ラムセス3世のミイラのCT画像によると、王の気管と主幹動脈は裂けており、傷は左右7センチにわたり、深さは脊椎にまでほぼ達していたことが分かった。またこの傷によって、首の前面部の軟組織は完全に傷んでいた。


犯人は、若い妃とその息子が王位継承を狙って送り込んだ刺客だったらしいです。この調査結果が発表されたのは2012年。『王家に捧ぐ歌』初演以降も、エジプトの歴史は研究により書き換えられ続けているんですね。