『うたかたの恋』感想 「死を成就するための愛」
花組公演『うたかたの恋』『ENCHANTEMENT(アンシャントマン) -華麗なる香水(パルファン)-』初日舞台映像(ロング)
『うたかたの恋』宝塚大劇場千秋楽の配信を視聴しました。
戯曲は、これまで何度も上演され、名作との評価の高い作品ですので、小柳 奈穂子先生の潤色・演出についてさっくり感想を申しますと、
いわゆるトーン&マナー(Tone and manners/略してトンマナ。英語圏では「Tone and Style」や「Voice and Style」)が合ってないような印象を受けました。
トンマナとはトーン(tone)&マナー(manner)の略称。
広告やWeb制作のデザインにおいてコンセプトや雰囲気に一貫性をもたせること。
柴田先生が描く『うたかたの恋』は、夢のような王子様に愛され、この世では結ばれなくても、お話の結末にあの世で結ばれたら、めでたしめでたしですわ、な
「愛を成就するための死」を描き、
小柳 奈穂子先生版の『うたかたの恋』は、『エリザベート』のシシィの遺伝子を受け継ぎ、子供の頃からトート閣下と戯れてきたルドルフの、
「死を成就するための愛」を探す物語。
小柳 奈穂子先生版の『うたかたの恋』は、東宝版の『エリザベート』の舞台のように、常に古木の樹皮のような重厚な装飾の柱や梁に囲まれ、頭上では双頭の鷲が睥睨している。
物語はいつも黄昏時~夜の帳に覆われていて薄暗く、ホーフブルクの王宮は出口の無いラビリンス。
柚香ルドルフは、窪んだ眼窩の奥にガラスを削って作ったナイフのような病んだ輝きを秘めていて、ああ、シシィの息子なんだなあと思う。机の上の髑髏の眼窩の奥の、トート閣下と対話しているのでしょう。
柚香ルドルフは、「メメント・モリ(死を思え)」の『エリザベート』の世界の住人なのですが、
ルドルフ以外の登場人物たちは基本、浮世の愛と情に厚い柴田ワールドの住人で、
エリザベート皇后は、ほおっておいた息子を「あなたはもう大人、その手で解決できる」と突き放さず、会えなかった息子にメッセージを残したり、息子の窮地にはフランツにとりなしを願う「普通のおかあさん」の顔を見せ、
マリーは、憧れの皇太子さまとのロマンスに舞い上がる世間知らずの乙女。
『エリザベート』の世界観に沿った舞台装置やルドルフ像と、マリーをはじめ柴田ワールドの世界の住人のトーンやスタイルが統一しきれていない印象があります。
今回新たに挿入された、マリーがウイーンから遠ざけられ、ルドルフが酒場で乱れるシーン。
ルドルフが鏡に映る自分の顔に「お前は誰だ!失せろ!」と叫び、客席に向かって発砲し、
マリーが駆けこんで、シシィがルドルフに与えられなかった母性を受け継いだかのようにルドルフを抱きしめてからの、
有名な「お前を清らかなままにしておこうとした誓いを破ろう」
の流れは、『エリザベート』と『うたかたの恋』の世界観の統一があってよかったのですが・・・
令和の現代に『うたかたの恋』を上演するなら、ルドルフを『エリザベート』寄りの人物像に寄せる方向になるのは理解できますし、今聞くとメルヘン過ぎてむずむずするセリフをカットするのも時代の流れでしょう。
が、
『うたかたの恋』
ー メルヘン
+ 政治的陰謀
によって、宝塚で上演する舞台劇としての面白さが増したかどうかは…
個人的には、東宝版に書き変えた『うたかたの恋』を、さらに宝塚に逆輸入してジェンヌが演じているのを見るようなまどろっこしさがあって、理性で「ふうむ」と感心はしたのですが、「うっとり」はしなかったです。
いっそ、マリーを無垢な乙女からマデレーネのような「ルドルフを死に導く天使」的なキャラにしたほうが、興味深かったかもしれません。