宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

劇団に再発防止策はあるのか



朗らかに、清く正しく美しくありたい


10月3日(火)の東京宝塚劇場公演(13:30/18:00)の中止を知らせるLINEが届いたのが、当日の12時26分。


東京都内在住の方でも、家を出た後に電車内で、あるいは現地で休演を知ったのですね。


宝塚と言えば


清く正しく美しく


この言葉の出典は、小林一三が1934年、東京宝塚劇場の開場を記念した『宝塚少女歌劇二十年史』に寄せた


「初夢有楽町(ハツユメ アミユヅメントセンター)」と題された一篇の詩にあるそうです。


我等の初舞台


朗らかに


清く


正しく


美しく


我等の宝塚こそ


大衆芸術の陣営


家庭共楽の殿堂


おゝ、我東京宝塚劇場!


おなじみの「清く正しく美しく」に「朗らかに」がついた


朗らかに、清く正しく美しく


この言葉は、今も東宝の経営理念として使われているそうです。



個人的には、「清く正しく美しく」だけだと、「清く正しく美しくいないとダメなんだ!」という圧を少々感じるので、「朗らかに」がついたバージョンのほうが好きです。


夢のアミューズメントセンター有楽町も、「ジェンヌの心身が、お客様の前で朗らかでいることが難しい」状況となり、灯が消えてしまいました。



予科生や研1が「朗らかに」いることは大変だ

今から3年前の2020年9月に「宝塚音楽学校のルールが変更になり、宝塚音楽学校の生徒は阪急電車に挨拶しなくなった」というニュースが世間を賑わせました。



阪急電車にお辞儀以外にも、


・上級生の前では、眉間にしわを寄せて口角を下げる「予科顔」を崩さない。


・上級生の前では、返事は「はい」か「いいえ」のみ。


・ルール違反した下級生が上級生に誤る時は、他の下級生も違反を申告して一緒に誤る「連続謝り」


といった、時代にそぐわないルールについて、学校側と生徒たちとで話し合って廃止した、という記事を読んだことがあります。


ひと昔前は、上級生の前で朗らかにしていたら叱られ、同期も一緒に「私も朗らかな顔をしていました!」と自己申告して謝っていたのですね・・・


これらのルールは、宝塚音楽学校の校則として明文化されていたものではなく、あくまで生徒同士の「話し合い」で決められていたそうです。


これらのルールに込められた意味はいろいろでしょうが、「劇団のルールに対応するため、音楽学校のうちから厳しさに慣れておこう」という意味合いもあったのでしょう。


宝塚音楽学校は、本科生と予科生だけしかいませんから、「先生」の促しがあって、生徒同士が話し合ってルールを改革する、と決めたら早いでしょう。


予科生が本科生になって、卒業して劇団に入った後のルールはどうなっているのか。


上級生からの「芸事についての厳しい指導・指摘」は当然あると思います。


上級生から下級生への「圧」は、「お客様に素晴らしい舞台を提供する」というパーパスの達成のために、必要で適正な厳しさなのか。


今回の悲劇の遠因には、日本の旧軍隊の体質を現わす表現である


「抑圧の移譲」


(上官から受けた抑圧を下へ、下へと発散していく図式。先輩から受けた圧を、自分が先輩になった時に後輩に対してやってしまう。)


の要素があったのではないか。


「抑圧の移譲」の問題は、日本の社会に根深くある問題で、でも数十年前を思えば変わってきたし、


一人一人が、自分が先輩になった時に、後輩に対する態度について考えて、変えてきたと思います。


歌劇団の伝統のうち、「お客様に素晴らしい舞台を提供する」ために必要なものは残し、時代にそぐわないものは見直す。


組プロデューサーや管理職らの上からの改革と、上級性と下級生の対等な話し合いの両方が必要なのだと思います。