宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

リアリティショーとしての宝塚 ファンも「宝塚音楽学校」の一員?

歌劇の国のー♪たーかーらーづーかー♪


宝塚音楽学校1か月半遅れ入学式 [108期入学式]


私が代わりに校歌を歌うわ!
(自分の母校の校歌は忘れても、宝塚音楽学校の校歌は歌えるヅカオタ)


学園リアリティ―ショーとしての宝塚

ところで、「テラスハウス」のような台本や演出があるのかないのか、虚構と現実の境をあえてあいまいにして楽しむ「リアリティーショー」についていろいろ言われておりますが。


私は最近、宝塚はファンも「学園リアリティショー」を一緒になって楽しんでいるよなあ、と思いました。


私は宝塚を知らない人に宝塚を説明する時、最初は宝塚用語を「翻訳」します。


例えば宝塚は宝塚音楽学校を卒業しても「生徒」「上級生」「下級生」「卒業」など学校用語を使い続けますが、知らない人は「宝塚音楽学校」と「宝塚歌劇団」を混同することがあるので、

○○さんって、研一の頃から先生上級生から一目おかれていて・・・


→翻訳


○○さんは、入団一年目のころから演出家先輩劇団員から一目置かれていた。

この翻訳、既存のヅカオタが聞くと「なんだか他人行儀ねえ。外部の劇団ことを語っているみたい」


と言われたことがあります。

宝塚は「内部」なの?

考えたら、ほとんどのヅカファンにとって宝塚歌劇団だって、リアル親族がいるわけでもない「外部」なんだけど、ヅカオタって宝塚のことを語る時、心理的に「身内」みたいに思っていません?


私、宝塚ファンになりたてのころは「自立してお給料をもらっている方を生徒と呼ぶなんて」と思っていたのですが、


下級生だ上級生だという用語を使っていると、自分もなんだか「観客・消費者」というより、ふんわりと「宝塚音楽学校」のPTA?みたいな気分でいられるなあ、ということに気づきました。


特に私、地方の共学の公立育ちなので、都市部のお嬢様女学校的世界へのほんのりとした憧れがあるんですけど(笑)


宝塚ファンをやっていると、自分が叶わなかったその手の憧れを満たしてくれる気がして嬉しい(笑)