ロミジュリ大劇場楽 誰がティボルトを狂わせたの
『ロミオとジュリエット』無事に宝塚大劇場公演全日程完走、そして卒業者の皆様、ご卒業おめでとうございます。
星組公演『ロミオとジュリエット』初日舞台映像(ロング)
狂った街ヴェローナに生まれて
誰が「大人になったら、勇者になってドラゴンを退治して、お姫様を救うんだ」と言っていたティボルトを狂わせたのだろう。
ロミオがジュリエットと結婚したせい、なんだけど。
愛月さんのティボルトを見るたびに、なぜかこの懐メロを思い出す。
恋したあの娘と2人して 街を出ようと 決めたのさ
駅のホームでつかまって 力まかせになぐられた
中略
熱い心をしばられて 夢は机で削られて
卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう
まあ、この歌が流行った昭和の頃は、校則でガチガチに縛られた、いらんことを考えずに大人の言うことを聞け!な「管理教育」全盛期で、
管理人は別にヤンキーでは無かった(と思う)のですが、先生から「お前は個性を殺して生きないと、大人になって苦労するぞ」と指導されておりました。ましてやヤンキー君のボコられっぷりたるや。
今は、学校の先生は表向きは個性重視と言うけれど、やっぱり”不文律” ”空気”を読まないとSNSでフルボッコ。
小学生も、こんな歌を歌いたくもなるよねえ。
青と赤に分断された世界
「人様の前で、政治と宗教と野球の話はしなさんな」と言われて育った世代ですが、
モンタギューが青でキャピュレットが赤
つい、昨今のアメリカ発のニュースを連想してしまいました。
モンタギュー家とキャピュレット家
そもそも、なぜ争っているのだろう。
シェイクスピアは、原作でも対立の理由を描いておりません。
当時のイタリアは、イタリアに口を出す神聖ローマ皇帝を支持する「皇帝派」と、ローマ教皇を支持する「教皇派」とに分かれて争っており、
ヴェローナでも、皇帝派と教皇派が、敵同士の間柄であったそうなので、
そこがベースなのかな?とも思うのですが、
シェイクスピアの戯曲は、饒舌でありながらキモのところで余白が多くて、
それゆえ、後世の人がシェイクスピアの人間ドラマに触れるたび、その時々の「世界」の構図に思いをはせる余地がある。
今は『ウエストサイド物語』も立派な古典ですが、初演時は、卓越したソング&ダンスとともに、
当時の若者には古色蒼然と思われていた『ロミオとジュリエット』を、当時の生々しい社会問題であった欧州系移民とプエルトリコ系移民との対立に置き換えたアイデアに観客は度肝を抜かれたそうです。
劇団四季:ウェストサイド物語:プロモーションVTR:2016
1950年代後半、ニューヨーク。
移民や低所得者たちの町・ウエストサイドでは、貧困と差別の中、若者たちが縄張り争いに明け暮れる荒廃した日々を送っていた。
自分たちの境遇と、自分たちを追い込んだアメリカ社会へ強い反発を感じながらも、若者たちは抑えようのない苛立ちを、非行や暴力という形でぶつける他なかった。
物語は、そんな彼らの鬱屈したエネルギーが発火点に達した瞬間から始まる。
欧州系移民の若者で構成されるギャング「ジェット団」のリーダー・リフは、果てのない争いに終止符を打とうと、ついにプエルトリコ系移民のギャング「シャーク団」に決闘を申し込む決意をする。
Bパターンでは、下級生の登竜門だった「死」を2番手が演じて、「愛ちゃんの死」がSNS
トレンド入りし、
Aパターンでは、このお話がまだ「昔はこうだったのね、今はこんな世の中でなくてよかったー」と素直に言えないことを気づかせる。
初演から400年を経てなお、死せるシェイクスピア、生けるヅカオタを走らす。これぞ古典オブ古典。