『柳生忍法帖』の本質は『ゴルゴ13』である
さいとう・たかを先生、ありがとうございました
今は亡き父がずっと『ビッグコミック』を購読していて、管理人も親に隠れてこっそり読んでおりました。
内容は、当時から正直、女性の描写がひどいなあと思っておりましたが💦西側世界を翻弄する東側の諜報機関(ソ連のKGBとか、東ドイツのシュタージとか)の描写が生々しくて、学校で教えてくれない世界のリアルに触れたような気になっておりました。
ゴルゴ13は1968年11月から小学館『ビッグコミック』にて連載開始。
1968年と言えば、ベトナム戦争が泥沼化し、キング牧師が暗殺、川端康成がノーベル文学賞を受賞した頃ですよ。
フォークランド紛争からリーマンショック、パンデミックまで、激動の世界史のウラに本当にデューク東郷の活躍があったのかもしれないと思わせる、荒唐無稽を支えるリアル。
実はこのお話の構図、山田風太郎のほうが先駆者なのです。
星組公演『柳生忍法帖』『モアー・ダンディズム!』初日舞台映像(ロング)
柳生忍法帖は元々のタイトルが『尼寺五十万石』だった
風太郎は、忍法帖シリーズを週刊誌や文芸誌で発表を続ける中、シリーズ初の新聞連載『尼寺五十万石』(1962~1964年『岩手日報』他連載)を執筆します。
十兵衛は、その剣の腕前で、主君の敵を討とうとする堀一族の女性7人に軍学を教えます。当初、十兵衛を登場させる予定はなかったと言う尼寺五十万石は、単行本時『柳生忍法帖』と改題されました。
山田風太郎の忍法帖シリーズは、原作を読んでみると表面的なエログロ描写に気を取られて完全なフィクションじゃん!と思うのですが、
実は大筋では史実をベースにして、歴史の大きな流れを改変することなく、歴史のウラにあったかもしれないif展開を描いているのです。
『柳生忍法帖』も実際にあった「会津騒動」をベースにしていて、
会津騒動
あいづそうどう
江戸時代初期,会津藩主加藤家で起きた御家騒動。藩主明成と重臣堀主水 (もんど) が,藩政のうえで対立,寛永 15 (1638) 年に堀は閉門を命じられ,堀と一族は城に発砲して退去し,高野山に入った。
幕府は堀とその兄弟を明成に引渡し,明成はこれを誅したが,明成もまた幕府により所領没収の処罰を受けた。
暗愚な君主加藤明成に重臣堀主水 (もんど) が愛想をつかし、堀一族の男たちは高野山に入るも、結局明成側に引渡され、処刑される。
その裏で、明成が尼寺に入っていた堀一族の女たちまでも無理やり引き出そうとしたところ、幕府に掛け合って女たちを救った天秀尼(豊臣秀頼の娘)という方がおりました。
東慶寺20世 豊臣秀頼公息女
元和元年(1615)大坂落城後、千姫の養女となり、家康の命により7歳で当寺に入れられた。
入寺に際し、家康からなにか願いはないかと聞かれ、「旧例の寺法断絶なきよう」と願ったと寺例書にある。
後に、東慶寺20世となり、法名を天秀法泰尼とする。
会津四十万石改易事件は東慶寺の特権が非常に強く認められるようになったことを裏付ける歴史的事件であり、天秀尼は一身をかえりみず、女人擁護の寺法を守ってその権利を主張した。
一女人の身で寺法を守り、堀主水の妻の身を助けた天秀尼
歴史書では、天秀尼が東慶寺に入っていた女たちが連れ去られるのを阻止したのか、いったん連れ去られたのを取り戻したのか、といったところがよくわからないそうです。
山田風太郎はその歴史の空白を埋める「もしも女たちが仇討ちをしたとしたら」のifストーリーとして『尼寺五十万石』を執筆しだします。
が、途中で「やっぱり女だけでは無理だ」と思い、急遽柳生十兵衛を「女たちの助太刀」役として登場させ、
「とにかく強い柳生十兵衛が、直接敵を倒さない」縛りという斬新なルールを設定します。
ここに「柳生忍法帖」の今も失せない新鮮さがあって、ゴルゴ13よりも前の時代小説なのに、現代のラノベの「異能力バトル」的な感覚で読めてしまいます。
まとめ:激動の歴史のウラに、ゴルゴ13と十兵衛あり